気まぐれ日記 09年10月

09年9月はここ

10月1日(木)「準備が進まず・・・の風さん」
 昨日と同じことが起きた。
 出社してすぐケータイで自宅へ届いているメールをチェックしたら、昨夜送ったリライト原稿に対する再質問の回答があった! 発信時刻はやはり早朝。今回のメールによる、私の送ったデータをマックで開いて処理したので、データが壊れているかもしれない、と怖いことが書いてあった。これはやばい、とすぐケータイで会社へ転送した。
 見たら、データの拡張子が変化していた。
 拡張子を書き換えてみると、開けた。ところが。
 見たら、私の新提案(再)に対して、また何もコメントがなかった。おかしい。
 すぐに問い合わせのメールを送ったところ、すぐ東京の事務所から電話があった。ネイティブは鈴鹿へ出張中で、きわめて多忙とのことである。あちこちに多忙人間がいることは心強い気もする。ま、それはともかく、私の問い合わせに対して、何らかの回答が欲しいことを伝えた。
 午前中に仕事のことで少し緊急事態があった。それを力一杯やり終えてから午後になった。
 学会発表における想定質問と回答作りの続きに着手したのだが、……だめ。全く頭脳がフリーズ状態で回転しない。
 苛立った私は、とうとう堪忍袋の緒を切って、ドイツ旅行のガイドブックを見始めた。1ヶ月前に購入した本だが、ほとんど見ていなかった。ワイフも、である。
 見ていたら知らないことばかりである。やばい。こんなことでは、ドイツで路頭に迷うぞ。
 とうとう午後いっぱいドイツの研究をしたが、やりきれなかった。
 帰宅してすぐしたことは、ドイツへ持っていくPCアプリルの予備バッテリの充電。それから、電子辞書に必要なアプリをじゃんじゃんインストールした。ドイツ語関係も入れた。しかし、それよりも英会話の勉強アプリが元々入っていた。音声データも入っているので、行きのルフトハンザの中で勉強できそうだ。
 デジカメのメモリも新品(2GB)と交換した。
 さて、ケータイも……というところで、とんでもないことに気が付いた。
 今回グローバル対応ケータイを持参していくのだが、ドイツの220Vコンセントに差し込む充電器がないことが判明したのだ。今さらネット購入しても間に合わない。
 そこで会社の頼りになる同僚にメールで貸してほしいと頼むと、了解とのこと。ラッキー……と思っていたら、就寝前にまたメールがあって、家捜ししても行方不明とのこと。
 明日も有休にして準備をする決心をした。

10月2日(金)「行くぞ、ドイツ・・・の風さん」
 いつも通りに起きて、先ず会社へ「お休み宣言」メールを送った。力不足を感じるぜ。
 ひと晩待ったが、ネイティブからメールが来ない。おかしいと思ったので、東京へメールしてみると、早速事務所から返信があった。私の会社のアドレスへ送ってしまったとのこと。
 まだ疑問点があったので、メールしたら、電話で話したいと言う。
 電話で10分近く話して、私の不安は問題ないことが判明した。
 午前中いっぱいかかって、やっと発表スライドとスピーチ原稿が完成した。これを暗記しなければならないが、今日の私にはもうあまり時間がない。
 続いて、仮想質問とその回答に着手した。これもずっと遅れていた課題である。
 日本語で作ってあったQ&Aに対して、へぼ翻訳ソフトを用いて英訳を作り、別紙に整理していった。へぼ翻訳ソフトがなかなか良い文章を出してくれず、作業は遅々として進まない。
 さすがに焦ってきたワイフが、午後になって買い物に出かけた。220V対応の充電器についてケータイショップに電話で聞いたら「ある」との返事だったので、ワイフについでに寄って買ってきてもらうことに。
 昨夜からシルバーの元気がまたトーンダウンした。動きが鈍くなり、食欲も半減。そこらじゅうでオシッコをもらす。
 何となく今夜にも死んでしまいそうだ。
 ワイフが帰宅する頃、さすがに心配になった私は、シルバーの粗相をした後を掃除した後、シルバーをなぜながら思い出に浸っていた。うちへもらわれてきてすぐ家族で八ヶ岳へドライブした。それ以来、シルバーは何度も家族と一緒にクルマで遠出している。抜群にクルマに強いネコだった。
 ドイツへ行っている間、犬猫病院に入院させる予定だが、できればシルバーの悪いところを快方に向かわせたい。
 ワイフが帰ってきた。このまま入院させたら、明朝までに死ぬのではないか、と言う。 
 私もそんな予感がして仕方ないが、何でも前向きに考えたいので、
 「一緒に病院へ行き、ぼくからもしっかり頼む」
 と宣言した。
 雨の中、ぐったりしたシルバーをウィッシュで病院へ連れて行った。
 ドクターと奥さんと看護婦さんに詳しく様子を説明し、何とか元気にさせてほしい、と頼んだ。
 ドクターが聴診器をシルバーの胸に当てると「大丈夫そうですよ」と言ってくれた。
 多忙なワイフはまた出かけて行ったが、私は夕食後もまだQ&Aの続きである。
 それがやっと終ったのは9時前だった。
 日記だけは書いておこうと、こうして書いているが、まだ準備は残っている。
 しかし、帰国は11日なので、それまで更新は中断します。皆さんもお元気で!
 行ってきま〜す。

10月3日(土)「チャレンジの旅は重苦しくスタート・・・の風さん」
 意欲だけは人一倍強くても、ちゃんと準備万端整ってやれているわけではない。ベストを尽くしながら、次々に起こる障害に対しても、常に前向きに取り組んでいくしかない。立ち止まったたり、後戻りして後悔するよりも、力不足を納得する方がずっと気持ちいい。
 旅立ちの朝は、いきなり最悪の知らせから始まった。
 今朝の5時ころ入院先でシルバーが死んだのだ。昨夜、預けに行った時の医師の見立てからは、すぐにこうなることは予想できなかった。シルバーはぐったりしていたが、聴診器をあてた医師は「心臓の音は普通ですよ」と言ってくれたからだ。
 いったいどうしたのだろう。それが最初に頭に浮かんだことだ。動物とはいえ、環境が変わったことは何らかのストレスを生じさせているはずだ。しかし、こうも急に病状(?)が変わるものだろうか。
「引き取りに行きましょう」
 というワイフの提案にうなずいた。出発まであまり余裕はなかったが、朝食を諦めれば何とか時間はひねり出せそうだった。
 私は子供のころからずっと猫を飼い続けてきた。野良猫も含めて同時に10匹以上も可愛がっていたことがある。
 しかし、ワイフは違った。猫好きで猫を飼った経験がないわけではないが、飼い猫に直接死なれた経験がないのだ。
 外へ出して好きなように行動させる、昔からの飼い方では、現代社会を猫が長期にわたって生き抜くのは難しい。先ず、交通事故に遭う恐れが
最も高い。オス猫の場合は、信じられないほど遠くへ旅するので、行った先で死んでしまうこともある。飼い主の知らない場所でである。また、不潔な環境を歩き回っていれば、病気になってしまう可能性も高い。そういった飼い方をさんざん経験してきたので、病気になって死んだ猫や、家から「まさか」といった遠くの道路でクルマにひかれた猫や、長旅に出てそのまま帰ってこなかった猫などをさんざん見てきた。だから、シルバーを飼い始めたとき、続けてペコを飼い始めたときも、私がポケットマネーを出して去勢、避妊手術を受けさせ、猫を家から外へ出さないように決めたのだ。
 動物病院へ着くまでの間も、ショックを受けたワイフの様子は明らかだった。これから私に付き合って海外旅行することへの期待など、完全になくなっていたに違いない。できることなら、同行を取りやめて、死んだシルバーの面倒をみたかったろう。
 今年の夏が近づいて、シルバーの衰えが目立ち始めたとき、いざという時のことを考えた。きちんと火葬して骨を拾い、墓を作らないまでも、小さな骨壷に入れて、遺影とともに家族がいつでも見れる場所に置きたいと思った。ちょうど亡父と同じように。
 そのためにペットの火葬をしてくれる場所をインターネット上で見つけ、オプションを選択し、プリントアウトしてワイフに提示していた。用意周到な私の性格を知っているワイフでも、この行動には違和感を覚えたようだ。人間は経験のないことに対して、いくら頭で考えられるとは言っても、簡単には受け入れらないことがあるのだ。
 それでも、旅行中にこういう事態になってしまった場合のことを考えて、ワイフは動物好きな友人の一人に、火葬や骨の確保をお願いしておいてくれた。それを出発前に早くも実行してもらうことになってしまったのだ。
 開院時刻前の病院に着くと、医師とその奥さんが出てきた。
 死んだときの様子を私は尋ねた。
 昨夜は少しは餌も食べたそうだが、やはりぐったりしていたことに変わりはなかったようだ。医師も特に診察や検査はせず、そのままにしていたそうだが、今朝、様子を見てみると、既に亡くなった直後で、体温はまだ暖かかったという。
 シルバーは昨夜置いていったときと同じような眠るような姿勢で、バスケットの中にいた。さわると体はまだ柔らかく、死んでいるようには思えなかった。
「先生。死因は何だったのでしょう?」
「老衰ですね」
 それを聞いて、なぜかホッとした感情に包まれた。病気だったにもかかわらず、医師の手当てを受けさせずに早死にさせたわけではないのだ。そして、私なりの猫との深い関わりの中で考え出した飼い方で、シルバーは天寿を全うしたのだ。
 しかし、人間と同じように、長生きをさせると、それなりの衰えが始まり、肉体が機能を失うのと並行して精神も滅んでいく。それを飼い主が必死に介護する。特に下の世話に象徴される、動物ゆえの末路の姿だ。
 なきがらを受け取って自宅へ戻った。
 居間に安置して、写真も撮り、私ら夫婦にとっての最後のお別れをした。ワイフの涙は乾くことがなかった。
 あとは、ワイフの友人と、時間のある次女に任せることにして、私たちは自宅を後にした。
 近くのバス停まで行って、ワイフと荷物をおろすと、すぐにまた自宅へとってかえし、今度は徒歩でバス停へ。
 セントレア空港に着いたのは、出発の約1時間前で、ルフトハンザ航空のカウンターでの受付が終了する数分前だった。ギリギリだった。
 大野先生ご夫妻は、既に到着していた。
 厳重な手荷物検査を受けた。金属類をすべてカゴに入れた私は自信満々で、探知機のゲートを潜り抜けたが、手荷物が引っかかった。
 洗面道具を入れたポーチの中にある液体が「ご法度」だったのだ。没収はされなかったものの、透明な袋に入れられて、いつでも分かるようにさせられた。
 出発ターミナルに横付けされたルフトハンザ機に、ゲートからすぐに搭乗した。
 客室添乗員の出迎えに、さっそく
「Guten Morge!」
 頭を海外モードに切り替えた。6日(火)の発表まで、可能な限り頭をやわらかくし、英語を多用し、耳も口も舌もあごも、本番に備えるのだ。

機内で寝てもまだ同じ3日(土)「左ハンドル、右側通行、路上縦列駐車・・・の風さん」
 学会発表のスピーチ原稿はネイティブがチェックしリライトしてくれたので、あとは暗記するだけだった。
 その暗記を始めたのがセントレアからフランクフルトへ向かう飛行機の中だった。しっかり意味を理解しながら暗記に取り組んだが、べらぼうに時間がかかって、フランクフルト空港に着くまでに、やっと1回やれただけだった。
 11時間のフライト。時差が7時間(時計が戻る)なので、絶対有利と思ったが、そうは問屋がおろさなかった。
 フランクフルト空港は非常に大きな空港で、国際線から国内線への乗り換えにとても時間がかかった。
 それでも2時間近いトランジットだったので、少しだけ待ち時間が生じた。コーヒーでも飲もうかと喫茶を探したが、フルーツパーラーのような店しかなく、小銭を作る目的もあって、4人それぞれが紙幣を使って思い思いの品物を注文した。私は甘〜い「Mousse au Chocolat」。フランス語風に発音してさっさとゲット。搭乗ゲートまで持って行って、椅子に座って食べ始めたら、大野先生から「タダでコーヒー飲めるみたいですよ」。ぎょぎょ。待合室にコーヒーサーバーが!
 サマータイムで日が長いはずのフランクフルトを、やや薄暮を感じながら離陸した。
 機内サービスで、オレンジジュースをガス入りのミネラルウォーターで割った飲み物を注文している人が多かったので、試してやろうと、ワイフの言うまま「アップルタイザー!」と叫んだら、「これはアップルタイザーではない」と身長2mのスチュワードから指導を受けた。真っ赤になっていると、隣席のドイツ人から話しかけられた。結婚50周年でミュンヘン経由でイタリアのアマルフィへ行くという。最近映画を観たワイフが「知ってる」とうれしそうだった。しかし、このドイツ人は、限りなく善人だと思うけど、英語がよく聞き取れない。
 空から見下ろすドイツは町も田舎もくっきりとした幾何学模様で美しい。
 夕方6時過ぎにミュンヘン空港に着いた。早速レンタカーのAVISを探した。なかなか見つからなくて、人に聞いて、結局、外のビルにあった。二人の女性がカウンターにいた。グラマーな黒人が応対してくれた。
 バウチャーを渡し、国際免許証(と日本の免許証)を見せると、クレジットカードを出せと言う。何のことかよく分からない。すると、保険に入れ、と言う。全部込みだと聞いている、と主張したら、それは基本的な保険だけで、任意保険に入ればもっと保証されると言う。大野先生に「騙されたような気がしますが、保険に入ります」と申告して、手続きをした。
 さらに、借りる予定だったアウディがまだ戻っていないから、代わりのBMWを貸すという。ディーゼルだが、ほとんど新車で、こっちの方が安いようなことを言うので、何となくOKしてしまった。
 ここからが、あらかじめ考えていた行動だが、先ず「クルマの返却はここではなくフランクフルト空港になる。フランクフルト空港の返却場所を教えてくれ」と言った。そしたら、住所を書いた紙を示して、「ナビにインプットしろ」と言う。なかなか合理的な回答ではあるが、そんなことでは満足できない。「ナビの使い方を教えてくれ」と食い下がった。インターネットのブログにドイツ語のナビは扱いが難しいという書き込みがあったのだ。ところが、「今日は土曜日で担当者がいないし、私は分からない」なんぞと言う。むむ。そこで、次の質問「ドイツ国内の道路地図が欲しい。買える場所を教えてくれ」と言ったら、タダの地図をくれた。
 実際、目的地のホテルをナビにセットするのが難しかった。小さな三ツ星ホテルである。住所が通りの名前までしか入らなかった。
 次に、事前準備ができなかったので、ホテルに電話して、レンタカーで行くからパーキングを教えてくれと言うつもりだったのだが、せっかくグローバル対応にしたのに、うまくつながらなかった。
 左ハンドル、右側通行で、どちらも初経験だが、そろそろと出発した。ビルを出ると既に外は夕闇が包んでいた。夜である。いきなりナイトドライブになってしまった。緊張感がピークに!
 ミュンヘンまでおよそ1時間。アウトバーンらしき道路も走ったが、ナビが指示する左折や右折に対応できず、どんどん先へ行ってしまい、ずいぶん遠回りをしながら、やっとミュンヘン市内に入った。午後8時過ぎである。
 だいぶホテルの近くまで行った(と思う)が、路上駐車でいっぱいである。とりあえず空いているところへ駐車して、ワイフや大野先生ご夫妻には降りてもらい、徒歩でホテルを探してもらうことに……。その3人を待っている間に、「通路に止めるな」と指摘されてクルマを出したが、空いている場所をまた探すハメに。そうこうしているうちに戻ってくるワイフとすれ違った。
 またまた遠くの建物の入口付近に止めて、ホテルがあると思われるところまで歩いて行ったら、3人がいた。
 ホテルのフロントで聞くと、ホテルには専用のパーキングはない、と言う。んな馬鹿な。「じゃあ、今ホテルの前に止まっているクルマは何なんだ?」と聞くと、「知らない」という返事。んな馬鹿な。
 とにかく置いたクルマが心配で、もう少しマシなところへ止めようと、ワイフとクルマまで戻ったら、歩道側の助手席の窓が全開になっていた! しかも床に、財布やパスポートの入ったワイフのバッグが! 後部座席にも私の勉強道具が入ったバッグが! どちらも無事だった。オクトーバーフェストで人通りの激しい通りである。これを奇跡と言わずして何を奇跡と言うべきか!
 ワイフの非難に堪えつつ、もう少しマシなところへクルマを移動したが、角地で不安はある。ホテルからも死角だ。
 空腹の大野先生の提案で、ホテルの向かいのイタリアン(風の)レストランに入って、夕食にすることに。本当はオクトーバーフェスト(歩いてものの10分もかからない位置のはずだが)へ直行するはずだったのだが。
 怪しい料理ばかりで、おまけにアルコールを置いていない店で、とにかく食欲のない胃袋に食べ物を放り込んだ。
 部屋に入ったが、私はクルマ(BMWだぞ!)が気になって仕方ない。
 ちょうど部屋の窓から下を眺めるとホテルの玄関前が見えるのだ。3台分の路上駐車が見える。
 午前零時にその中の1台(まんなか)が移動した。ので、私は部屋を飛び出して、BMWへ走った。そして、苦労してクルマを回して、ホテル前の2台のクルマのまんなかに縦列駐車で止めた! 本当にギリギリで、ピタリと吸い込むように止めることは不可能だったが、とにかく入れた。
 へとへとになってホテルのフロントにその旨報告すると、「明日は日曜日で、クルマはそのまま置いておいてもよい」などと言う。日曜日は路上駐車がOKらしい。うれしさを通り越して疲労と脱力感に包まれた。

10月4日(日)「オクトーバーフェストで爆発・・・の風さん」
 ホテル6階にあるレストランで、午前8時から朝食を摂った。こじんまりしたホテルにふさわしい小さなレストランだが、2方向が大きな窓で開放感があり、ベランダ(テラスと呼ぶにはやや狭い)にも出られる。ほとんど建物と屋根とは言え、周囲の眺めが美しいので、思わずワイフとベランダに出た。
 朝の空気はひんやりとしていて気持ちよかった。ホテルの側面の狭い通りが眼下に見え、向かいの建物のオレンジ色の瓦屋根には1羽の鳩と1羽のカラスが止まっていた。屋根裏部屋から突き出た窓がいかにもヨーロッパ的である。
 今朝は、ミックスシリアル、パン、ソーセージとスクランブルドエッグ、そしてコーヒーを主体にした食事にした。気持ちよく喉を通ったので、前途が明るく感じられた。
 今日は、市内の探検と観光、夜はオクトーバーフェストに行く。
 先ず、徒歩でミュンヘン中央駅まで行った。10分とかからなかった。私はそこで路線図を入手して地下鉄Uバーンの乗り方をマスターするつもりだったが、モタモタしている間に、流れが変わってしまった。そもそもこの第一段階は、明日から3日間の学会で私と先生がいないときに、二人のご夫人がたが困らないようにするためのものだった。明日から3日連続のオプショナルツアーを用意してあるので、その集合場所への行き方と現地確認をしておきたかったのである。ところが、当の二人がだんだんそれを無視していくのである。
 路線図は入手できたが、地下鉄の乗り方は分からずじまい。
 しかし、駅近くの明日の集合場所(デパート前)だけは発見でき、別のツアーで集まっているドイツ人に質問して確認もできた。
 続いて、明後日の集合場所へ向かうことになったのだが、地下鉄のUバーンでなく、路面電車のトラムで行きたい、と言うのである。なぜなら景色が見えるから。それも一理あるが、中央駅からUバーンで1駅の「マリエン広場」にトラムでも行けるのだろうか。乗り方が分からないでいるうちに、そちら方面行きのトラムが来てしまったので、乗り込んだ。
 なかなか着かなかった。それもそのはず、トラムではマリエン広場へ行かないのである。我々は、似た名前で違う場所である「マリアンヌ広場」で降りた。その周辺をうろうろしている間に、親切なおばさんがやって来て、「もしかしてマリエン広場へ行きたいのではないか」と聞く。そうだ、と答えると「間違ってここへ来てしまう日本人が多い。ここはマリエン広場ではなくマリアンヌ広場です」と言って、マリエン広場までの行き方を丁寧に教えてくれた。
 こういう親切な人と出会ったときにプレゼントしようと日本的な小物を持って来たのに、ホテルのカバンに入れたままだった。残念。
 マリエン広場に着いたらお昼近かったので、軽く昼食を摂りながら休憩することにした。広場に並んだカフェテラスに陣取った。市庁舎のからくり時計を見ようと見物人がたくさん集まってきた。広場の中央にある金の像が、明後日のオプショナルツアーの集合場所である。ここは観光客のメッカだった。
 ソーセージとパンとビールで昼食にしながら、からくり時計を見物した。デジカメで1分間撮影もした。
 ゆったりしたヨーロッパの時間が流れて行って気持ちいい。しかし、私の大仕事はまだ終っていない。私は学会発表のために来ているのだ。
 昼食後、レストランのトイレを借りたら、しっかりトイレの番人がいてチップをとられた。
 水曜日のオプショナルツアーは美術館(ノイエピコナーテ)見物だが、そこの現地確認は中止することになった。不要だというから。
 私の提案で、レジデンツを見学することになった。マリエン広場から徒歩で向かった。初めてミュンヘンに来た人は必ず見るべき場所だと私は思う。ミュンヘンは2度目の私だが、レジデンツは見たことがなかった。本当は、今日はニンフェンブルク宮殿にも行きたかったのだが、どうも他の3人は頑張って観光する気がない。この貴重なミュンヘンの時間を何と思っているのか、不思議だ。それとも、私が無理をし過ぎなのだろうか。
 レジデンツの外部は修理の工事中だったが、内部はフランスのベルサイユ宮殿のように豪華だった。一枚の絵や壁掛け、1体の彫刻や1個の陶磁器、家具などは日本に持ってくれば見れるかもしれないが、建物の内部すべてがこういった芸術品で埋め尽くされている様子は、やはり現地で見るしかない。圧倒的な迫力と美の極致だ。ドイツの王朝文化なのだろう。
 徒歩でホテルまで帰ることになった。
 今夜はオクトーバーフェストに決まっているが、それまでの時間が私にはどうしてももったいなく思えて仕方なかった。
 それで、ワイフに提案して、レンタカーで出かけることにした。少しでも運転に慣れたい、借りたBMWを楽しみたいという気持ちも強かった。
 ところが、またナビの操作で手間取った。最初はニンフェンブルク宮殿まで行こうと思ったが、ノイエピコナーテへ行くことにした。ところが、ところが、ナビの指示通りに走ることができず、あちこちぐるぐる間違って走っているうちにどんどん時間が経過していった。とうとうノイエピコナーテの直前で断念して、ホテルに戻ることにした。大野先生と約束した時間が迫っていたからだ。
 しかし、ホテルで合流する余裕はなく、結局、待ち合わせ場所であるミュンヘン駅近くの路上に、またまた縦列駐車して、二人で駅まで急いだ。
 間に合った。地元が主催するツアーに参加するのだ。
 これは大野先生の提案で、ホテルにパンフレットが置いてあった「ビアホールめぐりツアー」だった。結局ニ十数名が集まった。最後はオクトーバーフェストの会場に行くという。
 しかし、このツアーは、とっても怪しいツアーで、出発したら、オクトーバーフェストの会場とは正反対の方向へ向かうのである。最初に寄った屋外のビアホールも、次のビアホールも寂れていて、とても耐えられなかった。そこで、大野先生に、このインチキツアーから脱落して我々だけでオクトーバーフェストの会場へ行きましょう、と提案した。私は十数年前にオクトーバーフェストを経験しているので、楽しみにしていた大野先生にこれ以上の落胆を経験させるわけにはいかなかった。
 オクトーバーフェストの会場からずいぶん離れてしまったので、タクシーで向かった。
 着くと、そこはサーカスが来ているかと思うほどの賑わいだった。
 人の波と出店とイルミネーションと音楽があふれていた。
 最も近いテントに入ると、ガイドブック通りの、6〜7000人は収容できる巨大なビアホールになっていて、場内をめぐっても全く席が空いていなかった。
 次のテントも同様で、中央のバンドの演奏に合わせて椅子の上に立った人々が歌い踊っていた。前のテントもそうだったが、場内に日本人は見当たらなかった。本物のオクトーバーフェストに来たことを実感でき、大野先生も興奮気味である。
 ビールを配っている女性に席はないかと尋ねたら(だんだん私も度胸が出てきている)、隅っこに空いている席を見つけてくれた。そこで、ようやく私たちは本場のビールとチキン料理を注文し、ドイツ人と一緒になってビールの収穫を祝うことができた。終わり頃には22歳のドイツの若者と肩を組み、ドイツ語で歌まで歌った。
 大野先生がたっぷり楽しんだことを確認できた我々は、徒歩でホテルまで戻ったが、確かにホテルからそれほど離れてはいなかった。絶好の位置のホテルに泊まっていたのだ。昨夜のタイムロスが悔やまれた。

10月5日(月)「国際会議CARV2009初日・・・の風さん」
 
昨夜はオクトーバーフェストで酔っ払っていたので、ミュンヘン駅近くに置いたBMWを移動させるわけにはいかなかった。
 それで、今朝の3時半に目覚めて、とりあえずの格好の着替えてからホテルを抜け出した。外はまだ夜である。
 路上のBMWは無事だった。前後にあったクルマは、前のクルマが変わっていて、後ろのクルマはいなくなっていた。
 デジカメで撮影後、ホテルの前に移動した。今日はこれで国際会議場のマリオットホテルまで向かうのである。
 ノイシュバンシュタイン城見学に行くワイフたちは、ミュンヘン駅近くのデパート前を8時半に出発する。
 朝食は昨日より早い7時にした。いつでも出かけられるようにスーツにネクタイである。グレープフルーツジュースと昨日とは違うパンとトーストを選び、また好物のスクランブルエッグを食べた。
 またナビのセットでてこずった。仕方なく、ホテルのフロントにセットを頼んだ。
 その間に、ご夫人方が徒歩でオプショナルツアーに出かけていった。
 ドイツ人でもナビのセットには手こずっていた。何とか、住所の入力ができたので、ようやく出発できた。
 途中まで順調に走れたが、右折時に違った道へ入ったため、遠回りになってしまい、おまけに朝の渋滞にはまってしまった。しかし、早めに出発したので、このロスは問題にはならなかった。
 マリオットホテルの地下駐車場に入るのに迷ったが、何とか駐車でき、9時ころレセプションデスクにたどり着くことができた。まだ会場に来ている人は少なかった。午前のオープニングや基調講演が始まる前に、受付や席の確保、明日のバンケットのメニュー選択などを終え、コーヒーを飲んだり、余裕があった。
 レセプションデスクの係員には英語が通じて気持ちよかったし、休憩所はコーヒーや紅茶の自動サーバーをはじめ、お菓子類やクッキー類など、至れり尽くせりである。会場のテーブルの各席ごとにドリンクやキャンディーが置いてある。受け取ったProceedingsはAbstract集で、Manuscriptは添付のCDに入っている。パンフレット類と一緒に、ボールペン付きの立派なバッグに収納されているという周到さである。
 昨年の淡路島での国際会議でもこういった用意周到さに感心したが、ここはそれ以上である。
 Dr.Zaehのオープニングの挨拶は、世界情勢からドイツ国内の事情、オクトーバーフェストを始めとするドイツの歴史や文化にいたるまで、実に論理的で時宜を得た内容で、私は深い感銘を受けた。彼の知性と見識と優しさに感動したのである。続く基調講演はまじめな内容で、少し退屈だった。
 朝食をしっかり食べた大野先生は昼食を遠慮するとのことだったので、一人で昼食レストランへ向かった。
 私は若い研究者の向かいの席が空いていたので、断って座った。
 この研究者は、カナダから来た大学院生でD1年とのことだった。とても明るい青年で、私は明日の発表の練習のつもりで積極的に話しかけた。しかし、彼の英語は非常に聞き取りにくいものだった。なので、自信はちっとも増さなかった。
 午後になって研究発表を聴き出したが、ほとんど分からない。
 それで、自分の発表スピーチの暗記に専念することにした。黙読で練習するのである。一昨日の飛行機の中以来だった。だいぶ忘れている。やはり老化によるボケだろう。そもそも暗記は不得意だし。それでも何とかおしまいまでやった。
 4時半で今日の発表は終了したが、これから地下鉄で、ミュンヘン工科大学附属の生産システムの研究所であるiwbへラボツアーに行くのである。予定時刻は6時から10時までである。
 5分ほど歩いて、初めてUバーンに乗った。レセプションデスクでもらったチケットを差し込んでホームへ入ると、途中の検札もなく目的地まで行ってしまう。インチキをやろうと思えばできる仕組みだが、ドイツ人はそういうことはしないし、確かめもしないようだ。
 iwbは、職場の先輩や同僚が何人も訪れたことがある有名な研究所である。
 そこに自分も見学に来れたことが不思議でならない。私には分不相応な立派な研究所である。
 広い工場内のそこかしこに実験機や実験プラントが設置され、説明用ボードが立てられている。そして、あちこちにプレッツェルの乗せたスタンドがあり、ドリンクバーや料理を提供するコーナーもあって、歓迎ムードがあふれていた。
 やや早い到着だったが、私と先生は、Phdの学生たちの説明をいくつか聞いた。ICチップマウンター技術で、超音波を利用し、非接触で実装する技術(ジーメンスと共同かと聞いたら、そうだとのこと)とか、ロボットアームの3次元マニプレート技術で、反力を感じることができる装置、摩擦熱を利用した異種金属の接着技術など。
 デモに用いた接着した異種金属(アルミと鉄)プレートを、私はDr.Zaehからもらい、一緒に記念撮影もした。本当に気さくで謙虚な研究者である。大会中もちゃんと聴講しており、そのまじめぶりに、大野先生も絶賛の声を上げておられた。
 8時過ぎに、疲れたので、大野先生と二人でiwbを後にした。何となく名残り惜しい気もするが、私は明日の発表が気になって仕方ない。
 Uバーンを利用してマリオットホテルへ戻り、BMWでホテルを出た。1日の駐車料金は22ユーロだった。
 夜間なら大丈夫だろうと、ホテルの前にBMWを駐車した。
 既にご夫人方は帰っており、ノイシュバンシュタイン城は楽しかったらしい。ただし、日本語のガイドは全く得られず、英語もよく分からなかったそうだ。明日も明後日も日本人ガイドがつくから、今日のところは我慢してほしい。
 私はさっさと寝ることにした。何となく明日も早起きできる予感があったからだ。

10月6日(火)「プレゼンテーションをやり遂げた風さんの巻」
 午前3時過ぎに目が覚めた。不思議だ。体内時計が主人に忠実に時刻を刻んでくれているのだろうか。……と、しばらくそう思っていたが、だいぶあとでワイフから「単なる時差ボケよ」と一蹴された。確かに、7時間遅れの時差を考えると、午前3時は日本時間の午前10時だから、いい加減目も覚めるはずだ。
 ベッドの上で、アプリルでパワーポイント資料を開き、暗記用プリントを眺めながら必死に覚えようと頑張った。3回目の挑戦である。時間は十分あると思って、じっくり取り組んでいたら、アプリルの動作がおかしくなってしまった。パワーポイントの編集が通常の操作でできなくなってしまったのだ。なんでこんなときに……。
 悪戦苦闘して最後には偶然直ったが、起床時刻までに最後までたどり着けなかった。あとはマリオットホテルでやるしかない。それでも、発表時間がオーバーしないように、最後のスリム化は完了した。
 朝食レストランで大野先生から「どうですか?」と質問され、「駄目です」と回答。さすがの優しい先生も表情を曇らせた。
 ご夫人方の出発は遅いので、我々は先に出発した。
 「頑張ってね」朝食レストランを出て行く私に、ワイフが切り火を切ってくれた。
 今朝は偶然目的地がバッチリ出たので、昨日の朝間違えたポイントだけ注意すれば、短時間で着くはずだ。
 ミュンヘンでの運転もいちおう4日目で、少しずつ慣れてきた。安全のため、とノロノロ走ったり、車線変更で遠慮したりしてはいけない。クルマと同様にドイツでは運転も動的性能を要求される。そして、皆がそういう軽快な走りをしているので、紳士的な対応もしてくれる。つまり、日本なら割り込みに近い動きをしても、ちゃんと譲ってくれるのである。
 マリオットホテルの駐車場にもすんなり止めることができた。
 午前中前半のキーノートスピーチをさぼって、ホテルのロビーでひたすら暗記に努めた。
 さらに、発表会場に早めに入って、一人で熊のように歩きながら、唇を動かしつつ暗記に努めた。
 私の発表するセッションのチェアマンは、女性の教授だった。自己紹介しつつ、海外での発表が初体験であることを付け加えるのを忘れなかった(これを私はmy first challenge of making presentation abroadと訳した)。
 アプリルを持参したが、USBメモリに入れたデータを、主催者が用意したパソコンに移し変えた。オフィスのバージョンが違うので、画像が崩れる恐れがあると説明を受けたが、承諾した。
 昨日の昼食のときに知り合ったカナダ人も来ているはずだが、確認しているだけの精神的なゆとりはなかった。
 いよいよ名前を呼ばれて、鳴海風……じゃなかった本名の私の登場となった。
 プロレスラーのようにロープを飛び越えてリングに上った気分だった。
 いつもようにやる気満々だった。職場の期待、大学の期待、友人の期待、家族(ペット含む)の期待、多くの人たちの期待が私の背中を勢いよく押してくれていた。
 ところが、声を出した途端、すべてのリズムが崩れた。
 声を出さない練習を続けてきたので、自分の声を自分の耳が受け付けない。
 何となく違和感があって何度も言い直す。そのうち覚えたことまで忘れてしまった。暗記用プリントを入れた透明ファイルを何度もチェックする醜態をさらした。しかし、会場は水を打ったように静まり返り、あわてふためく私に冷静な視線を送ってくる。今年だけで4回目の学会発表、会社員としての社外講義は1回、作家としての講演やスピーチならもう7回もやっている。場慣れしている風さんでも、英語しか使えないとなると、無腰のまま赤穂浪士に立ち向かう吉良方の侍と同じだ。
 半ば舞い上がったまま最後までたどり着いた。時間が気になったが、時計をチェックする余裕すらない。
 会場の女性から質問の手が上った。二つの質問があると言う。一度に二つ聞くと分からなくなるので、最初の質問をされた時点で、わざと質問内容を確認した。そうやって二つ目も確認しながら、ああでもない、こうでもないと、だらだらと回答しているうちに時間が経過したらしい。そして、こちらの英語力を確認したのか、それ以上のツッコミもなく、私は大きな息を吐いた。そして、チェアマン役の女性教授が、「他に質問がなければ終ります」と終了宣言をするやすかさず自ら拍手。私の全身から力が抜けていき、その場にへたり込みそうになったが、顔だけは安堵と疲労と深い後悔の入り混じった複雑な表情をしていたに違いない。
 大野先生から「お疲れ様」と声をかけられ、「昨年の淡路島が20点で、今日のは40点でした」と報告すると、「60点は上げてもいいんじゃないですか」というコメントだったので、やっぱり40点だったのだろう(笑)。
 休憩時間にカナダ人からも「すばらしい発表だった。実際の生産システムを元にした研究で、非常の興味深かった」と激励されたが、30歳ぐらい年下の若者から褒められて喜んでいてはいけない。
 「よく頑張りましたね」セッション会場を後にするチェアマンの女性教授からもにこやかに握手を求められた。
 昼食がすいすい喉を通った。カナダ人と大野先生と3人である。
 午後のセッションの中でトヨタ生産方式について発表したスウェーデン人がいたが、私の勤務先のデンソーの事例が出てきて、私の名前を出してくれた。発表後、近付いていき、トヨタ生産方式の本質について知っているか確かめた。そうしたら知っていると答えたので、一番はマインドで、モノづくりの現場にいる人間だけでなく、あらゆる職場の人間が、自分の仕事に対して付加価値をつけようとチームワークで日夜改善をしていること、それが本質だと念を押してあげた。
 4時半に国際会議が終ったので、いったんホテルへ帰った。
 既にご夫人方は、日本人女性ガイドによる市内穴場散策のオプショナルツアーから帰っていた。
 「どうだった? バッチリだった?」
 ワイフに聞かれたが、とにかく終った、としか言えなかった。
 私は何度目かの駐車場の問題をホテルのフロントにぶつけた。すると、有料の駐車場があると教えてくれたのである。そんなのがあるなら、最初から教えろよ、と言いたかったが、聞かないことに余計な口はきかないのだろう。
 地図をもらった私は早速BMWをそこへ持って行った。確かに地図の位置にあった。立派な地下駐車場である。100台以上楽に止められる。
 ホテルまで歩いて戻る間、裏町のような通りを見物もできた。
 今夜はバンケット(ディナー)である。着替えたご夫人方をともなって、Uバーンでマリオットホテルへ向かった。
 すっかり夜の闇に包まれた並木道を歩いて、マリオットホテルへ着いた。ここが昼間の檀那方の決戦場だとは想像もできまい。その主戦場の中の発表会場だったところが、白いテーブルクロスをかけた円卓を並べた、まるで結婚披露宴会場のようなディナー会場に模様替えしてあって、戦士である我々も驚いた。
 我々4人とカナダ人(例の若者)とカナダから参加している立派なドクター二人が、同じ円卓を囲んだ。
 ワインで酔うほどに、緊張が解けた私は、快活に下手な英語を連発し、一人で陽気になっていた。
 Dr. Zaehの好感のもてるスピーチと、途中で女性マジシャンのやや不器用な手品が入ったりしたが、8時から11時まで最高にエンジョイして、会場を後にした。
 すっかり酔っていた私を含めて4人はタクシーでホテルへ帰ることにした。
 イラン人のドライバーは陽気で、酔っ払いの私と掛け合い漫才をやりながら、エキゾチックなイラン音楽の流れるタクシーは無事ホテルに着いた。

10月7日(水)「フュッセン失踪事件・・・の風さん」
 
8時に朝食を摂り、チェックアウトを済ませ、私がパーキングから移動させてきたBMWに荷物をすべて積み込んで、9時半頃ホテルを出発した。
 最初に、ご夫人方のオプショナルツアー場所である、美術館「ノイエピコナーテ」に向かい、二人を降ろしてから、マリオットホテルへ向かった。
 今日午前中の前半のセッションの聴講は中止したのだ。
 会場に入ると、ちょうどコーヒータイムだった。リラックスムードの私がコーヒーマシンに立っていると、見慣れないアジア人に声をかけられた。到着したばかりの香港の先生で、今日のキーノート講演の最後を飾るのだと言う。立派な先生だった。この先生の英語がなぜかよく聞き取れた私は、快活に応対することができた。私の昨日の発表について紹介すると、エアコンの生産システムの変態に要するセットアップタイムを聞いてきた。私が2日間で、2日間というのは意味のある重要なタームだと答えると、香港の先生は大きく頷いて、今にも私の頭をなでてくれそうだった。
 昼前のセッションを中途半端に聴いたあと、絵葉書を書いている私に近付いてくる研究者がいた。昨日の私の発表内容に興味があるので質問したいと言う。アプリルでプレゼンテーションのスライドを再現しながら、質問に答えているうちに、相手の質問の意味が少しずつ分かってきた。似た目的のシステムを研究しているが、だいぶ違ったシステムになっているようだった。あとでレポートを送ってくれると言う。
 下手なプレゼンテーションをしてしまったと多少ガックリきていたが、ここまでで私の元気は戻ってしまった(意外と軽いやつだな、俺って)。書き上げた絵葉書を5枚、ホテルのフロントに預けた。
 カナダ人は今朝早くカナダへ帰ってしまったので、昼食は大野先生と二人だけ。デザートを2個も食べて、今朝の香港の先生や昼休みに質問を受けたことを報告した。
 
午後の発表3件のうち2件は私でもよく分かって面白かった。
 最後のキーノートスピーチはDr. Zaehと香港の先生だった。Dr. Zaehの話は物事にはサイクルがあるという内容。香港の先生は、国際会議CARVが世界を救うという、会場に集まったすべての研究者に元気をつけるパワフルでインプレッシブな内容だった。機関銃のように撃ち出される英語だが、なぜかよく聞き取れる。
 午後1時にオプショナルツアーを終えたご夫人たちも、昼食を摂ったあと、ここへ4時半までに来ることになっていた。
 ところが、国際会議が閉会になってもまだ姿がなかった。
 ケータイでワイフに電話してみたが出ない。
 香港の先生と最後の挨拶をしたり、コーヒーを飲んだりしているうちに、ようやく二人が現れた。
 時間を守らない二人に、大野先生は立腹の様子だったが、相手が奥様ではなすすべなかったようだ(笑)。
 5時過ぎにようやくマリオットホテルを出発し、今夜の宿泊地……それはロマンチック街道の南端の町だが……フュッセンへ向かった。
 
明るい田舎道を初めて走る気持ち良さと、今回のMUST業務を終えた私は、もう天にも昇る気分だった。
 フュッセンまではけっこう距離があって、午後7時過ぎに着いた。
 かつて南ドイツで2度利用したことがあるホテルと同じ系列の「ホテルゾンネ(太陽)」である。ホテルの横に駐車場もあった。重いトランクをおろして、チェックインし、部屋に入ると、山小屋風の作りで、何となく可愛い。
 先生ご夫妻は、今夜はもう遅いからホテルのレストランで夕食にしましょう、と提案されたが、そうは問屋が卸さない。こっちは開放感で観光ムード、テンションも高いのだ。ガイドブックに乗っているレストランで、2度目の鹿肉に挑戦したいのだ。
 レストランはホテルから100メートルと離れていなかった。
 意外と空いていたが、どの客も料理を待っているようで、少し不安もあった。
 しかし、大野先生のソーセージも私の鹿肉もどちらも早く来た。鹿肉は少ししょっぱかった。
 食事後に夜のフュッセン市内を散策した。石畳の小さな城下町は風もなく、ライトアップされた教会やお城が夜空に映えて夢のようだった。
 まっすぐホテルに帰らず、少し遠回りしたので、最後の街角で、どちらへ行くべきかで、両家の判断が分かれた。
 方向感覚に自信のある私と大野夫人の勝負となったが、結果は私に軍配が上った。
 ホテルのフロントの前で先生ご夫妻を待ち続けることになった。
 明日も朝が早いので、さっさと寝た。
 ミュンヘンのホテルもここも無線LANがあって、フロントに頼めば安価な料金でつなげるのだが、ここまでついに一度も試すことができなかった。
 

10月8日(木)「はしょった予定でも長〜い1日・・・の風さん」
 今日はロングドライブになるので、早起きして7時から朝食。外はまだ暗い。ほとんど夜である。サマータイムの終了も近い。
 ホテルゾンネは、部屋だけでなく、朝食レストランも素敵だった。女の子好みと言うべきか。ロマンチック街道の南端、中世のおとぎの国のホテルにふさわしい。母娘かと思われる3人の日本人がいた。
 朝食メニューはミュンヘンのホテルよりもさらに品数が増えた。部屋に青りんごが置いてあるのだが(それを私は二口三口とかじった)、くだものも置いてある。ソーセージも自分で切って食べられる。パンの中にドーナツまであった。大ぶりのスクランブルエッグがあるのは、ドイツの定番なのかもしれない。
 テーブルに天気予報のシートが載っていた。絵で晴から雨まで6段階に描いてあり、雨ときどき晴と思われる絵にチェックが入っていた。気温は21℃となっていた(予想最高気温かどうかは不明)。
 チェックアウトをし、外で記念写真を撮ってから出発。
 レンタカーはBMW320dである。直噴2リッターのターボディーゼルで、170馬力もある名車で、今年のフランクフルトモーターショーでは、さらにピエゾインジェクター付きのコモンレールタイプで、アイドルストップやエネルギー回生機能もついたすごいやつが展示された……ということは、後で知った。とにかく、素晴らしい車を借りることができ、それでドイツを運転しているのだ。
 今回の旅行は、私はプライベートだが、大野先生はご出張、お仕事である。今日は、先生の予定で、シュツットガルトのベンツ博物館を見学しなければならない。ロマンチック街道からやや外れる。所要時間も読めない。しかし、ロマンチック街道に未練もある。
 そこで先ず、ロマンチック街道沿いに北上し、有名なアウグスブルグに向かうことにした。
 天気はどんよりしているが、ドイツの郊外を走るのは、実に楽しい。のびやかに伸びた道路は平坦で、カーブはゆるく、起伏もおとなしい。見通しの良い牧草地に様々な牛が放牧されて、せっせと草を食んでいる。農民の姿は見えない。既に仕事を終えたのか、やるときはまとめて一気にやってしまうのだろうか。日本なら、道路の近くに古いテレビや洗濯機が捨ててあったり、使わなくなった小屋が荒れるに任せてあったり、ところどころに藪や荒地があったりするのだが、ドイツにはそういった場所がない。もしあれば、恥ずかしいと思って片付けてしまうのではないか。
 約1時間半のドライブでアウグスブルグに着いた。ちょっとした都会である。市のマーケットに付属している駐車場にBMWを止めた。
 小雨がぱらつく中、近くの書店に併設されたカフェに入った。現代風の(つまり化粧がやや濃い)娘が二人働いていた。飲み物を注文して、トイレを借りた。ガイドブックを開いて観光スポットをいくつか列挙したが、ベンツ博物館には興味がないと言われる夫人は、ここにも興味がないようだった。
 「さあ、早くベンツ博物館へ行きましょう」大野先生の催促で、カフェを後にした。
 シュツットガルトまで3時間近くかかるだろう、と私は頭の中で計算していた。
 途中で工事があって、迂回路を通らねばならない場面が何度かあった。それで、少し時間がかかった。
 雨は相変わらずぱらついていて、少し冷える。トイレ休憩をとりたかったが、レストランかカフェあるいはガソリンスタンドを探す私の意図に反して、郊外のスーパーマーケットに入ってしまった。
 (こんなところでトイレは難しいぞ)と内心思っていた。
 案の定店内にはトイレはなく、仕方なく私はレジのお嬢さんに「トイレを貸してくれないか」と尋ねた。
 すると、お嬢さんは、親切にもレジを離れて、近くにある鍵のかかったドアを開けて、従業員トイレへ我々を案内してくれた。珍しい日本人が4人、スーパーマーケットにトイレを借りに来たというエピソードが、これから長く彼女の脳に記憶されることだろう。
 途中、わずかだがアウトバーンを走った。片側2車線の小規模アウトバーンだったので、160km/hしか出さなかった。
 初めての給油も経験した。セルフである。セルフ給油は日本でも慣れているが、ここでのハプニングは給油口の開け方が分からないのである。運転席周りにどこにもそれらしいスイッチがない! 大野先生がスタンドの従業員を呼びに行った。その間に、外へ出た私は、給油口のフタを何気なく押してみたら……「開いた」(笑)。
 シュツットガルトに着く頃には天気がだいぶ好転していた。時間的にはお昼どきを過ぎている。
 市の中心からは離れたところにベンツ博物館はあった。ベンツの本社ビルの横、巨大なだ円の渦巻きを描いた高層ビルで、印象的である。2006年5月に全面リニューアルされたというから、かつて2度ドイツに来たときは、まだ完成していなかったことになる。
 有料駐車場に止めて徒歩で博物館に向かった。近付くといっそう博物館の大きさが迫ってくる。写真の視野にはとうていおさまらない。
 先ずは腹ごしらえということで、レストランに入ったが、半分閉店していて、軽いものしか注文できなかった。
 ミュージアムショップでお土産の下見をしてから、見学に出発。
 チケット購入し、一気にエレベータで8階まで行く。日本語の音声ガイドを借りて、渦を巻くような回廊を下りながら(同時に自動車や世界の歴史をたどりながら)展示物を見て行くのである。
 自動車技術の歴史を見ると、ドイツ人の優秀さをあらためて感じる。感心していると、横からワイフが、
 「クルマって、豊田佐吉が発明したんじゃないの?」
 などと、とんでもない質問を発してきた。
 「何を馬鹿なことを言ってるの! 豊田佐吉が発明したのは自動織機! 昔、日本には自動車製造会社がたくさんあったんだぞ。生き残ったトヨタや本田だけじゃないんだ。クルマを作ってやろうと燃えに燃えた人たちがたくさんいた。自動車レースもそうだ。僕は作家として、そういった歴史に埋もれてしまった人たちを書き残したいと思っているし、それが僕の使命なんだ」
 私はワイフの前でひっくり返りそうなほど胸を張って見せたが、既に彼女の姿は視界から消えていた。
 ミュージアムショップで、職場へのお土産を買おうと決めた。とにかく数量を確保しなければならない。スペシャルな紙袋も買うことにして、その袋に次々に土産物を放り込んでいった。レジで、
 「I want to buy many gifts.」と言ったら、女の子に変な顔をされた。
 むろん包装は「なし」。
 私はベンツよりBMWよりポルシェが好きだ。本当はポルシェ博物館に行きたかった。
 しかし、これ以上無理せずこのままローテンブルクへ行きましょう、と提案されて困惑した。私の当初の目論みは、ポルシェ博物館はもとより、さらにネルトリンゲンを見物してから、夜遅くローテンブルクへ入るつもりだった。なぜなら、明日は移動がなく、終日ローテンブルクを観光できるから。
 しかし、人生の先輩から何度も主張されたら、引っ込むしかなかった。
 結局、ポルシェ博物館もネルトリンゲンも次回のお楽しみにしようと決心したのである。
 ナビを目的地のローテンブルクのホテル「アイゼンフート」のある住所にセットした。
 ネルトリンゲンを通過しないせいか、田舎道ばかり通った。運転は楽しいが、やけに時間がかかる。また工事区間にも出くわして迂回路を走らされる。ナビはあっても日本のVICSみたいなものはないらしく、自動で迂回路を案内はしてくれない。一番確かなのは現地の人のクルマに続いて走ること。
 ある場所でUターンするしかない状況に陥った。ナビでは通行止めの道路しか教えてくれないのである。
 動揺した私は、Uターンして戻り出したのだが、自分が道路の左側を走っていることに気が付いた! Uターンと同時に、右側通行から左側通行に脳のナビがリセットしてしまったのだ。危ない危ない。
 進入禁止の道で立ち往生していると、現地の人のクルマがやって来た。そのクルマが堂々と進入禁止の道に入って行ったので、「行っちゃえ」とばかりについて走った(笑)。
 ローテンブルクに着いた。ナビが城壁の途中にある小さな門から入れ、と指示している。クルマ1台しか通れない狭い道だ。「ええい。ままよ」とローテンブルクの町の中に入った。
 石畳の狭い街路が続く、そこはまぎれもない中世の都市だった。
 私はここへも十数年ぶりに帰ってきたのである。
 午後7時ころだった。
 明らかに日本人観光客と分かる人の群れの間を、優越感に浸りながら何度か曲がりながら前進し、マルクト広場へ出た。ホテルはもうすぐそこだ。
 ホテルの前に堂々とBMWを止め、荷物をおろし、ホテルマンにBMWのキーを預けて、我々はホテルにチェックインした。
 アイゼンフート(鉄兜)は、ローテンブルクで最もベッド数が多く(144くらい)、値段も最も高いが、日本人に最も人気の高い博物館のようなホテルだ。
 部屋に入って荷物を開いて一段落すると、今回の旅行で初めてのことに私は挑んだ。
 電話でレセプションデスクを呼び出し、無線LANを使いたいから、ユーザー名とパスワードを教えて欲しい、と伝えたのだ。24時間で9ユーロとかなり割高だったが、もう今しか利用して経験するチャンスはないので、OKと返事した。
 そして、持参したアプリルに入力すると、ものの見事にYahoo Japanにつながった。
 電話だけでスラスラと事を運んだので、ワイフに自慢したが、「あ、そう。よかったわね」と軽い反応。彼女の頭は、明日の買い物大作戦でいっぱいなのだ。
 夕食はホテルでなく外へ出た。雨も風も心配なく、ゆっくりレストランを物色できそうだった。ところが、狙いのレストランが見つからなかったので、途中で見かけたレストランが何となく雰囲気が良かったので、そこへ入った。
 今夜もビールでドイツ料理を楽しんだ。大野先生とワイフが頼んだウィンナーシュニッツェルは、ポークカツレツだった。私はポテト料理にしておいた。
 ホテルへの帰途、マルクト広場のからくり時計が動くらしく、大勢の観光客が見上げていたので、我々も立ち止まって期待して待った。ところが、鐘の音のあと、ピクリと動いただけで、すぐに窓が閉じられてしまい、広場はため息で包まれた。
 ホテルの部屋はエントランスもベッドルームも浴室も広く、応接セットもあれば執務机もあって、ドイツ最後の滞在場所として最適な選択だったと自画自賛しているうちに、ふと見るとワイフはもう寝ていた。
 
10月9日(金)「重たいトランク・・・の風さん」
 ドイツに来て初めて遅い朝食となった。でも8時半。レセプションの横から入って、さらに奥へ奥へと進んだところに、朝食用レストランがあった。3箇所目のホテルで、朝食はまたさらに豪華になった。ホットバフェは、日本の朝食バイキングに匹敵するが、もちろんメニューは違う。アイゼンフートの特徴として、ワッフルを焼きあげるたこやき器みたいな道具と、グレープフルーツをしぼってジュースを作るマシンが置いてあったことだ。あと、日本人観光客が多いせいだろう、味噌汁などの日本食がある(もちろん私は食べない)。
 そして、特筆すべきは、朝食用とはいえ、室内の豪華さだ。まるで美術館のようにさりげなく壁に絵が掛かっている。木製の家具はどれも年代を経た骨董品で、明り取り付きの天井を見上げるだけで、中世を舞台にした映画の中にいるような錯覚にとらわれる。これで、周囲に日本人があふれ返っていなければ、ただ遠い外国へ来ただけでなく、時間軸まで過去にさかのぼったような気分になれただろう。
 朝食後、レストランからテラスに出て、また驚いた。1階にいるはずだったのに、そこは城外で、眼下に果てしなく田園風景が広がっていたからである。目路はるか、現代を感じる建物などない。あまりの美しさに、私たち夫婦は声を失ってしまった。この感動のためだけでも、ローテンブルクに来てよかったと思った。
 大野先生ご夫妻と、今日は別行動をとることを申し合わせた。
 ドイツへ出発する前に、旅行の準備であまり時間がかけられなかった項目がいくつかある。10年前まで使用できたトランクが経年変化で崩壊していた話は以前に書いた。次に、服装がある。かつては、海外へ行くのだからと、新調した衣類を持って行ったものだ。今回はワイフが用意してくれた下着だけが新しく、それ以外はすべて普段着と言ってよかった。
 3日間の学会は当然スーツとネクタイ。それ以外は、下がスラックス(1本だけ持参)で、上はTシャツの上にTakeo KikuchiのYシャツ、そして昨年小樽で買った裕次郎のウィンドブレーカー(お気に入り)である。ウィンドブレーカーが役に立ったのはやや冷え込んでいる夜間ぐらいで、日中は飛行機の中もそうだが、半袖Tシャツだけという恐ろしいラフな格好だった。靴とベルトはずっと共通。
 今日1日は基本的にローテンブルクの中にいて、観光しながらショッピングである。
 しかし、ドイツでやりたかったことの一つとして、まだ実行できていないことがあった。国際電話である。日本との時差を考えると午前中にかけておきたい。マルクと広場の一画にツーリスト・インフォメーションがあった。そこに公衆電話があったので、日本から持参したプリペイドカード(5000円)を利用して、国際電話に挑戦した。挑戦したという言い方は大袈裟に聴こえるかもしれないが、初めてだったし、とにかく押す数がべらぼうに多い。途中で押し間違いもしてしまうので、ちょっとした挑戦だったのだ。
 何度目かのトライでつながった。地元で留守中(シルバーの葬儀含めて)お世話になったHさんへかかった。最初はワイフが、途中から私も話したが、昔の国際電話と違って、音質がクリアだし、双方同時に話しかけても違和感が全くない。もっと早く電話したかったのだが、とてもできなかった。しかし、とにかく電話できてホッとした。この後、長女にも何度かかけたのだが、呼び出すばかりで出てくれなかった。帰国して知ったのだが、番号非通知だったので出なかったとのこと。事前に電子メールを送ってからかけるべきだった。残念。
 ツーリスト・インフォメーションの隣のショップから買い物が始まった。布製品、陶磁器、木彫りの置物などなど、魅力的で何でも欲しくなってしまう。ワイフの買い物の合間を縫って、誰に上げるかは気にせず、一つずつ私も買い込んで行く作戦をスタートさせた。
 観光もしなければならないので、ガルゲン門まで行き、城壁に上った。これがローテンブルクをぐるりと一周しているのだ。レーダー門まで城壁の内側を歩いた。銃眼からのぞく外の風景より、やはりローテンブルクの内部が美しい。現代を感じる部分がほとんどない、恐るべき世界だ。まるでディズニーランドかディズニーシーのように徹底している。すべて元が本物だというのがすごい。
 再び買い物をしながらマルクト広場を目指した。途中で日本の百円ショップならぬ1ユーロショップがあって、時間をかけて物色した。買ったのはほとんど私ばかり(笑)。
 小さなショップでも、ちょっと入っては何か買った。
 いい加減荷物が増えたので、いったんホテルに戻って身軽になった。ミュンヘンから持って来たビールを飲んだ。
 ホテルアイゼンフートのとなりが、有名なクリスマスグッズを売る店ケーテヴォールファールトだった。ホテルと同様間口は狭いが、奥は深く、さまざまなグッズが並んで売られている。クリスマスグッズだけではない。そのどれもがお土産に最適な気がした……が、財布の中はもうかなり軽い。ワイフの買い物の中に、例によって私のものをひそませたが、支払いのときに、私はなけなしの紙幣をワイフに渡してしまった(もう、これで大物は何も買えない)。
 しっかり昼食を摂る必要もなさそうだったので、またツーリスト・インフォメーションの近くのお菓子屋へ行って、名物のシュネーバルとコーヒーでおやつにした。シュネーバルは円形のクッキーで、見た目より硬く、甘みがなかった。噛むとボロボロとこぼれるので、食べにくかった。
 市庁舎のてっぺんにも登った。最後ははしごを登る感じで、外へ出るとローテンブルク全体が見渡せた。
 ワイフはさかんに「もう一人で買い物できるから、あなたはホテルでゆっくりしていたら」と言う。その言葉にしたがって、絵葉書を書くなり、つながった無線LANを使って電子メールを送るなりするのも手だったが、こんな素敵な世界にいて、室内にこもっているのがもったいなくて、お金もなく足も痛かったが、一緒に行動することにした。
 別のショップで(比較的高級品を扱う店で)若い日本人女性店員と話をした。まだこちらへ来て1年ちょっとらしいが、ローテンブルクでの体験を少し教えてくれた。日本人観光客が圧倒的に多いが、礼儀正しいので地元からは歓迎されていること。南米の金持ちが店に来たときは、あれこれと品物を出して見せて、最後に「どれになさいますか」と尋ねたら「全部くれ」と言われてぶったまげたこと。その店もケーテヴォールファールトの系列だそうで、副社長が日本人なのだそうだ。
 だんだん夕方になってきたので、お勧めの犯罪博物館へワイフを連れて行った。拷問や処刑の道具がたくさん陳列してあった。内部に針が出ている鉄の入れ物「鉄の娘」は、お茶の水にある明治大学の犯罪博物館でも見たものだ。町は観光地なので中世のお伽の国だが、中世にはこういった現実もあったのだ。光と影、明と暗、両方を見ておくことは意義がある。
 いよいよショップの閉店時間(ケーテヴォールファールトは18時半)が迫ってきたので、ワイフは最後のショッピングに出動した。私は外でしばらく待っていることにしたが、24時間契約の無線LANの制限時間が切れることを思い出し、ホテルの部屋へ戻って、メールチェックと最後の電子メール送信を試みた。友人のOmO教授にやっと写真付きのメールを送ることができた。彼からは何度も海外から羨ましい限りの写真とメールをもらっていたからだ。
 ドイツ最後の夕食は、比較的安価なレストランに行くことにした。昼間チェックしてあったブッツである。パーゴラの屋外は寒くてだめだが、屋内は気安く利用できそうだった。
 料理2品(ワイフはパスタ、私は子牛のステーキ)とピルスナー2杯だけの質素な(?)夕食。
 何度も通ったマルクト広場にさしかかると、大野先生ご夫妻とバッタリ。
 ドイツに来てから初めてBMWのハンドルを握らない1日だった。BMWが恋しい。
 就寝まで、徹底した荷造り作業が続いた。たった1個の巨大トランクが、すさまじい重量になった。しかし、その重量以上に思い出は貴重で重い。

10月10日(土)「最後のチャレンジ・・・の風さん」
 6時に起きたが、外はまだ夜の闇の中に沈んでいた。
 朝食を摂るために7時にレストランに行くと、日本人の団体でごった返していた。
 「きっと8時出発だから、我々は混雑を避けて出発の時刻を遅らせましょう」
 大野先生のご提案に賛成して、8時15分チェックアウト完了と申し合わせた。
 今朝も、バラエティに富んだ朝食を、たっぷり楽しむことができた。毎朝そうだが、デジカメの写真も撮った。
 私たちは昨夜ほとんどの準備を終えていたので、重いトランクを押しながら階下へ降りて、チェックアウトを済ませ、預けてあったBMWをホテル前に回してもらうように頼んだ。日本人の団体はもうほとんどいなかった。
 ナビのセットでまた苦しんだ。結局、ホテルの人間にやってもらったのだが、彼も相当に手こずっていた。
 余裕があれば、ビュルツブルグを通って、フランクフルトのゲーテハウスの前で一時停止ぐらいしてから、フランクフルト空港に向かいたかったのだが、ナビをセットしてみると、フランクフルト空港着は12時15分と出た。フライトは午後2時35分なので、余裕はない。
 午前8時45分ごろホテル前を出発した。狭い門を抜けて城外へ出たが、ローテンブルクに自分が運転するクルマで到着した思い出は、やはり素晴らしいものだったとつくづく思う。
 昨日からうって変わって空は暗く、重そうな雲が広がっている。どこかからクラシック音楽が聞こえてきそうだった。
 ナビが指示する道は、ひたすら田園風景を案内する。慣れたので、スピードを出せるところは、時速100kmぐらいで突っ走る。それでも不安や緊張が少ないのは、ドイツの道路の良さとBMWの運動性能だろう。
 次第に予想到着時間が早まってきた。これまでの経験から、どうやら予想到着時間は平均60km/hに設定してあるようだ。日本は一般道が40km/hで、高速道が80km/hぐらいなので、その中間の設定といった感じだ。
 とうとう雨になった。一昨日の小雨とは違って、本格的に降って来た。ナビと同様に、ワイパーの操作に熟達することができなかった。日本ならウィンカーになる右のレバーでやるのだが、間欠、低速、高速の切り替えがなかなか分からない。リヤワイパーやウォッシャー液の操作も同じレバーでやるので、訳が分からなくなる。ボケが原因だろう。
 11時を過ぎたので、小休憩か昼食にしたかったが、なかなかレストランやカフェが見つからない。
 道を間違えたついでに、郊外のスーパーマーケットに寄った。残念ながら飲食店は併設されていない。むろん店内にトイレもなく、止むを得ず、レジの女の子にトイレを借りたいと告げると、わざわざ鍵のかかったドアを開けて、従業員用トイレを使わせてくれた。
 短縮された予想到着時刻が、また12時15分になっていた。
 雨は依然としてしっかり降っていた。
 フランクフルトが近付いた。レンタカーなので満タン返しをしなければならない。目的地まであと16kmとなった時点で、ガソリンスタンドがあったら寄ります、と宣言していたが、ガソリンスタンドが見つからない。
 空港直前でまた道を間違え、あと2kmを切ったところでエッソを発見し、ようやくBMWを止めた。
 前回の経験を生かして、クルマから降り、給油口を押してみたら開いた。それから先は日本と同じ。セルフで軽油(ディーゼルという表示)を満タンにした。結局、ドイツでは853kmを走破した。燃費は14km/lを超えていた。ほとんど停止せずに走れたことが大きい。
 ドイツ初日で解決できなかったレンタカーを返すポイントは、ナビに設定できていなかった。ドイツ人でもできなかったのである。何とかターミナル1までたどり着き、どこのパーキングだろう?と思いつつ不安いっぱいで走って行き、右か左か分からない分岐点があり、「ええい、ままよ」とばかりにハンドルを左に切ったら、その先にレンタカーの返却専用パーキングの入口があった。奇跡だった!
 無事にレンタカーを返却できたが、私が直接手を出さなかったこともあり、月曜日の夜、iwbでDr.Zaehからもらった摩擦接合のテストピースをBMWのトランクに置き忘れてしまった。バリだらけで、最初からトランクに入れるのを躊躇したのがアダになった。残念である。
 出発までまだまだやることがあった。昼食などとんでもない。
 ルフトハンザ航空のカウンターまでかなりの道のりがあった。搭乗券を手に入れて、トランクを預けるまでも相当の時間がかかった。混んでいるとかで、席の確保はゲートでやるように言われた。
 私は免税処理が気になって仕方なかった。事前に旅行代理店からもらった空港の地図を見ただけでは、どういうルートで行ったらいいか分からなかった。先生ご夫妻は、奥様のナビゲートでさっさと先行してしまった。先生も免税処理があったのだが、気にしていないようだった。
 結局、目指すゲートまで向かえば、途中で見つかるだろうと思いつつ、我々も進むことにした。
 出国審査を受けてから、手荷物検査を待つ行列がべらぼうだった。大野先生の姿を見かけたので、免税の処理のことを聞いたら、外にあってもう手遅れだろうという返事だった。私は、今ならまだ間に合うと思い、手荷物検査の行列から離脱して、逆戻りし、職員に尋ねると、中でもできるようなことを言う。それなら、と再び行列に並んだ。
 時間を要した手荷物検査を終え、目指すゲート61にたどり着いたが、そこまでに免税処理の場所は見つからなかった。先生ご夫妻の姿も見えない。職員に尋ねると、来た方向とは別の方向を指差し、あそこから出れば、手続きができる、と教えてくれた。出発までまだ1時間以上あったから、私はとにかく挑戦することにした。ピンチを切り抜けることは会社生活で慣れている。ドイツの最後の思い出に、この困難な状況にどれだけ対応できるか、やってみることにしたのだ。
 私はワイフに搭乗券を渡して、先生ご夫妻を探して、席を確保したか尋ね、もしまだなら一緒に確保すること、もし既に確保していたら席を確保するように頼んで(この確認なしに私らが先にやることは絶対にしてはならない)、職員に教えられた出口へ向かった。100m近くある。
 そこは入ってきたのとは全く別の小規模な手荷物検査場所だった。その横に出口があった。念のため、手荷物検査職員に免税処理のスタンプや換金がまだなので、そこから出てもいいか、と尋ねると(いちおう書いておくが、ここはドイツの空港で、すべて私はプアな英語でやっている)出ていいし、そこは上の階だ、ということまで教えてくれた。
 エスカレータで上に出ると、銀行窓口のような換金場所があった。並んで書類を見せると、スタンプをもらってこなければ換金できないと言う。場所を尋ねると、さらに上の階だと言う。急いで、エスカレータで上に行くと、奥まった場所にスタンプを押してくれる場所があり、人が並んでいる。
 そこでハタと気付くことがあった。
 小規模ながら手荷物検査を逆行して自分はここへ来ている。もし元の場所に戻る場合、再度手荷物検査を受けるとなると、パスポートと一緒に搭乗券が必要である。しかし、その搭乗券は、今はワイフの手の中だ!
 待っている間に私はワイフに電話を入れた。+81からかけるので、日本経由である。今こそやっとグローバルケータイの威力を発揮する場面だ。しかし、ケータイの着信音に気付いてくれるだろうか。祈るような思いで、呼び出し音に耳の神経を集中させた。
 出てくれた! 尋ねると、先生ご夫妻は既に席を確保されていて、遅れて自分もやったが席は並んで取れなかったと言う。なんと!
 続いて私はかいつまんで状況を話し、もうじき私が出た手荷物検査場所に戻るから、搭乗券を持って近くまで来てくれ、と頼んだ。不安なワイフは、何か言いたそうだったが(こういうピンチには慣れていないから仕方ない)、議論している余裕はない。
 スタンプを押してもらうまで待ち時間が長く感じた。特に疑問も投げかけられず、男性の係り員からスタンプをゲットできた。
 急いで換金場所を目指した。時間はまだある、と自分で自分に言い聞かせている。なぜそんな必要があるかというと、もはや狙いは換金ではない。このピンチに自分がどれだけ対応できるかの挑戦だからだ。スタンプさえもらえば、後日郵送で換金は果たせるのだ。そのために、書類には、昨夜のうちに、入金先のクレジットカード番号などを記入してもいたのだ。しかし、今は気が変わっている。
 エスカレータを降りて換金場所にたどり着いた私は、自分の順番が来た時点で、「書類にはクレジットカード番号などを記入してあるが、気が変わったので、現金をこの場で欲しい」と申告した。さぞかし真剣な表情だったのだろう。女性の窓口員は、軽くうなずくと「ユーロと円とどちらがいいか」と聞いてきた。帰りの飛行機の中で免税品を購入する可能性も考えて、ユーロを希望し、額面通りの金額を現金でゲットできた。
 私はさらに急いで階下へ降りた。
 手荷物検査の場所の近くに男性の空港職員がいた。
 事情を話して、すぐに中に入れるかと聞くと、信じられないことに「名古屋便に乗るのだろう? それなら時間があるから、ちゃんと手荷物検査を受けろ」と言うではないか。しかし、驚いてばかりいられない。待ってました、とばかりに「実は女房に搭乗券を預けて出てきてしまった。もうすぐ向こうへ女房が現れるはずだ」と主張した。
 うまい具合にこちらへ走ってくるワイフの姿が見えた。
 「あれだ!」
 私が指差すと、彼は手荷物検査場所を通り抜け、中の係員と一緒にワイフの尋問にとりかかった(笑)。
 こうして無事に搭乗券を手に入れた私だったが、手荷物検査はすべてやり直しで、大変だった。バッグからアプリルやデジカメ、予備バッテリーなどを出し、腕時計を外し、ケータイを置き、ポケットのコインをすべてぶちまけ、ベルトまで外した上で上着を脱いで、金属探知機のゲートをくぐるのである。
 やっとゲート61に戻ったとき、ワイフは焦りの極致になっていた。出発までまだ20分以上あったから、私は楽勝と思っていたが、最後の連絡バスが待っているという。
 早速それに乗り込んだが、まだ後から後からやってくる乗客がいて、なかなかバスは出発しなかった。今日のような混雑ぶりでは、誰だって搭乗手続きに時間がかかるに決まっている。まして、慣れない日本人が多いルフトハンザの名古屋便である。
 私は免税換金というチャレンジを達成できて、大いに満足していたが、最後の難関は、ワイフと離れてしまった座席を交渉して隣り合わせにすることだった。ラストチャレンジと思われた。
 二人の席番号の特徴から判断して、ワイフの席の横の人に交渉するケースと、私の席の横の人に交渉するケースの両方を頭の中でシミュレーションした。そして、相手が外人であることを想定して、最も丁寧と思われる申し出の仕方を、英作文までした。これが達成できればもう思い残すことはないとまで思いつめた。
 飛行機は往路と同じA340エアバスだった。
 乗り込むとなぜか先生ご夫妻がビジネスクラスの中央席に!(あとで聞いた話では、ルフトハンザが勝手に用意してくれたそうだ。きっと団体客を乗せるため、空いているビジネスにエコノミーの客を回したのだろう)
 我々のエコノミーは、日本人がほとんどだった。それが幸いした。お願いすると若者が快くワイフの席に移動してくれた。どちらも通路寄りで、条件的にはほぼ一緒だったせいもある。
 最後のチャレンジも達成できて、私の満足度は頂点に達したが、なぜかワイフは浮かぬ顔をしていた。
 私が勝手にチャレンジに走ってワイフを一人ぼっちにしたこと(もっともその間にワイフは長女のお土産を買うことができたのだが)、1週間の長旅の疲労、そしていよいよ帰国ということで、シルバーの死を思い出したのだろう、涙がにじんでいた。
 機内で半袖Tシャツ1枚の私は、すっかりくつろいだ気分になろうとしていたが、こっちまで落ち込んできた。
 そして、もうこれ以上のチャレンジはやめて、帰国するまでおとなしくしようと決めた。

10月11日(日)「シルバーの霊に合掌・・・の風さん」
 結局、機内では、飲んで食べて寝るぐらいしかできなかった。
 せいぜい免税品を一つ購入したことと、アプリルでほんの少し日記を書きかけただけだった。
 予定の8時59分より早くセントレアに到着しそうだった。電波時計の腕時計を自動で日本時間に合わせてもいい位置に来た。しかし、そのやり方が分からない。あれこれ操作してみたが、駄目だった。
 着陸態勢に入ると、気圧の関係でいつも耳が痛くなる。しかし、今回のルフトハンザ航空では、往復とも程度が軽く、着陸後の生活に支障はなかった。
 ルフトハンザ機から降りるとき、最後のドイツ語「Aufwiedersehen!(さようなら)」を使った。観光の楽しみではなく、ドイツへの感謝の気持ちだった。この言葉は、日本語では「さようなら」だが、中国語なら「再見」である。またドイツへ行きたい、いや絶対にまた行く、そう思った。
 入国審査も税関もすんなり通してくれた。
 新型インフルを恐れる人のマスク姿もきわめて稀だった。
 こここそ国内と思われる場所に出たところで、先生ご夫妻と別れた「お疲れ様でした」。
 バスの発車時刻までたっぷりあったので、残ったユーロを円に換えた。
 セントレアの空は青く晴れ渡り、ドイツは既に紅葉が進んでいたが、日本はまだ初秋の感じが強かった。日差しも強い。
 バスの待合室で自動販売機から日本の缶コーヒーを買って飲んだ。不思議と違和感がなかったのが、ドイツのコーヒーだった。
 左側通行の国に戻ってきたのだが、これも何も違和感がない。やはりドイツで右側通行に順応できたのは、必死の努力のせいだったのだろう。
 あらためて今回のドイツ旅行が多くの人たちのお陰で実現できたことを感じ、感謝の気持ちでいっぱいになった。
 特に会社の同僚(先輩や後輩含む)である。多くの仲間が立派な仕事をしたからこそ、それをネタに社会人入学を果たし、その延長線上にドイツでの学会発表にたどり着き、さらにさらにドイツでクルマを運転するという、とほうもない幸運まで後押ししてくれたのである。
 1週間前と逆に、もよりのバス停でワイフと荷物を待たせ、私はひとりで自宅への道をたどった。
 かなり急な坂道をのぼっていく途中で長男とすれ違った。大学へ行くのだろう。
 「おう、久しぶりだな。元気か?」
 「ああ」
 父と息子なんてこんなもんだ。
 鍵を開けて家に入り、ワイフのウィッシュのキーを取った。
 シルバーはいないが、呼んでもペコは出てこない。
 30kgを越す「Heavy」というタグのついたトランクをウィッシュに載せるのは大変だった。
 久しぶりの自宅は、空気がこもっていて不快な匂いがしたが、整理整頓はきちんとできていた。
 食堂に入って、驚いた。
 亡父の祭壇の横に、シルバーの祭壇が作ってあり、小さな極彩色の布に包まれたシルバーの骨壷や、ワイフに抱かれたシルバーの遺影などが飾ってあったのだ。
 私たち夫婦は、今さらながらにシルバーが家族として17年間共に暮らしたことによる存在感と、シルバーを失った悲しみに包まれて、祭壇に手を合わせながら涙をこらえることができなかった。
 テーブルの上の次女のメモには、おかえりなさい、に続いて、不在だった1週間の出来事が克明に記録されていた。
 浪人生も留守をしっかり守ってくれていたのだ。
 
10月12日(月)「職場復帰初日・・・の風さん」
 旅行中は毎日早寝早起きをしていたのに、帰国したとたん元に戻ってしまうのが怖ろしい。
 バタバタと準備して家を出た。世間は体育の日で休みなので、クルマの交通量が少ないのが助かる。
 それにしてもミッシェルの振動の大きさに恐怖すら感じるのは、つい数日前まで乗っていたのがBMWで、おまけに走っていたのがしっかり整備されたドイツの道路だったせいか。ミッシェルに乗せるたびにワイフが「空中分解するんじゃない、このクルマ」と震えるのがよく分かった。しかし、慣れればいいのだ、慣れれば(笑)。
 ベンツ博物館で買った細々したお土産を職場に配らなければならない。とにかく職場には多大な迷惑をかけて準備して実現したドイツ旅行なのだから。もっともお土産ですべてが精算できるわけではない。それはそうだ。
 午前中に製作所で、午後にたまたま本社へ行く機会があったので本社で、お礼の言葉と一緒にお土産を配った。他の製作所にいる同僚2名には社内便で送った。メールも出した。今日だけでお土産の9割を分配することができた。残りの物を配ると、自分の手元に残る物は何もなくなる予定だ。自分は思い出だけで十分。欲しくなったらまた行けばいいのだ。それが張り合いにもなる。
 1週間不在だったわりに社内メールのたまり具合がそれほどでもなかったのは、今年管理職を引退したせいだ。すべての歯車がうまく回って社会人入学3年目を迎えていることになる。
 帰りに、台風で汚れたミッシェルを自動洗車し、満タン給油した。
 夕食後、留守中に届いた寄贈書籍をHPにアップした。辻真先先生の『四国・坊ちゃん列車殺人号』(光文社)、楠木誠一郎さんの『坂本龍馬74の謎』(成美堂出版)、若桜木虔さんの『江戸町奉行所の謎』(中経の文庫)である。
 気まぐれドイツ日記の続きを書いた。書くことが多過ぎる。

10月13日(火)「定期健康診断・・・の風さん」
 今日は1年に1度の定期健康診断である。朝食を抜いて出社した。
 疲労のせいもあるが、なるようになれ、といった気持ちでメニューをこなしていった。こういう態度をとると、血圧、握力、視力、聴力などの結果が悪くなる。しかし、疲れているときは、どうしても意欲が湧かない。人間、死を目前にすると、最後は気力がなくなって永眠するのだろう。自然の摂理だ。……ということは、もう死の目前。んな馬鹿な。
 午後、定期健康診断のオプション「バリウム検査」の予約をした。来週、本社へ行く。

 もう焦って夕方速攻で帰宅することもない。精神的には落ち着いているが、実は、やることがどんどんたまってきている。一番の悩みは『怒濤逆巻くも』の文庫用の原稿をどうするか、だ。減らしたいのだが、良いアイデアが浮かばない。
 今夜も気まぐれドイツ日記の続きを書いて、就寝前に『怒濤逆巻くも』下巻を少し読んで、寝た。

10月14日(水)「ドイツ、ドイツ、ドイツ・・・の風さん」
 目覚ましでいったんは目を覚ましたものの、その後寝てしまい、予定の電車に乗れなかった。
 今日は名古屋出張である。
 1本遅れの電車に乗ることができた。スーツを着ているので暑く、うっとうしい。
 睡眠不足でちょっとつらかったが、持参した『怒濤逆巻くも』下巻を少し読んだ。
 久しぶりにあおなみ線に乗車して、ポートメッセなごやの展示場へ。工作機械が中心の展示会である。専門ではないが、機械を見るのが大好きだ。
 首が痛かったので、コーヒーで鎮痛剤を流し込んでから、会場へ。
 なじみのメーカーのブースがあった。M精機である。なぜかドイツのメーカーと一緒に展示している。しかも展示台数が多く、ドイツのマシンが目立つ。
 大きな金型を研削する設備のところで、係りの人にあれこれ聞いた。技術的な話に続いて、世間話。
 「どうしてDMGと一緒に展示しているのですか」
 「共同出資して会社を作り、国内販売をM精機が引き受けているのです」
 「DMGはどこに工場があるのですか」
 「フュッセンからクルマで10分ほどのところです」
 「え? 私は先週の水曜日にフュッセンにいたのですよ」
 パンフレットを見せてもらうと、表紙にノイシュバンシュタイン城の写真が……。
 金髪の外人の女の子が二人でパンフレットを配っていたが、ドイツ人かもしれない。
 小型の5軸の加工機の動的な性能と、美しいフォルムにため息が出た。やはりドイツの機械はすごいぞ、本当に。
 昼食後、途中で銀行に寄った。預金残高がマイナスになりそうだったので、定期預金を解約して普通預金へ移すのだ。クレジットカード決済が多い風さんとしては、必要な処置だ。ところが、間に合わなかった。既にマイナスになっていて、自動機でこの処理ができないのである。思ったより早くマイナスになったのは、大学の後期授業料が先週自動引き落としされたからだ。
 銀行員に相談し、ある特別な処置をしてもらって、目的を果たした(届け印を持参してなかったので)。
 夕方から「あきたリッチセミナー in NAGOYA」に出席した。T自動車の役員によるハイブリッドカーに関する講演を聴講した。役員は高校の3年先輩である。
 T社ではエネルギー回生をともなうクルマをハイブリッドと定義しているという。電気自動車に移行するには課題が多いが、何と言っても電池技術が最大のネックで、ガソリンや軽油に比べて、エネルギー密度が20分の1と低いため、走行距離を伸ばそうとすると、とんでもない重量の電池を搭載する必要がある。等々の話。その点ハイブリッドは有利だし、次はプラグインハイブリッドの時代になる、と言っていた。つまり家庭で充電することで、短い距離の分を稼ぐ。ガソリンエンジンから充電するよりも、家庭用電源から充電する方がトータルで燃費向上になるそうだ。
 このセミナーでは、昨年知遇を得た上小阿仁村の小林村長に再会するのを楽しみにしていたが、残念ながら今回はいらっしゃらなかった。小林村長は、秋田高校の大先輩である。ドイツでドイツ憲法を研究して帰国し、大学で教鞭をとられていたが、出身地の村おこしのために帰郷して村長をなさっている。
 先週までドイツにいたので、ぜひドイツの話をしたかった。
 また、上小阿仁村では食用のほおずきを特産にしていることを、つい最近知ったが、そのことについても確認したかった。幸い、高校の後輩のKさんが今回の主催者側にいて、詳しい話を教えてくれた。上小阿仁村の食用ほおずきは「フルーツほおずき」という商品名で、バレンタインデーの季節には東武百貨店で「ほおずきチョコ、恋どろぼう」のほおずきとして有名だそうだ。今度、その時期に上京したら探してみようっと。
 先週ドイツへ行ってたくさん貴重な経験をしてきたが、帰国してからもドイツがついて回る。
 本当に人生は面白い。

10月15日(木)「閑話休題・・・の風さん」
 だんだんのんびりできなくなってきた。多面体人格の風さんなので、全方位対応をしていないと、仕事がどんどんピンチになる。
 バタバタと終日過ごして帰宅したが、すごく疲れている。
 夕食時、ワイフと情報交換。ワイフは昨日、実家にも寄って来ているのだ。来週、高山かどこかへ遊びに行くそうだ。え?え?え?ドイツから帰って来たばかりなのに。
 ようやく気まぐれ日記をアップし始めたので、早速、楠木誠一郎さんから、シルバーが亡くなったことに対して、お悔やみのメールを頂戴した。楠木さんのところにも12歳になる犬がいるので他人事ではないと書いてあった。そのことをワイフに報告したら、
 「ペットを飼っている人だから、こちらの気持ちが分かるのよね」
 としんみりと言った。
 僕のHPも評価して欲しい(^_^;)。
 ミュンヘンから絵葉書を送った、大学時代の恩師の一人、I先生からもメールが届いて、少しやりとりをした。地球環境の話題になり、先生から、今度東工大で講演される内容を送ってもらった。その中に、イースター島の話があった。かつて「謎のモアイ像」と呼ばれたものが、実は、環境破壊によって島で暮らせなくなった住民の遺物であることを知った。昔は熱帯雨林に覆われた島だったのが、モアイ像を作って売るため、熱帯雨林を伐採したために生態系が激変したのだという。地球の先行きを暗示している事例かもしれない。
 11月1日に名古屋の能楽堂で開催される「お能の会」のチケットを入手した。そこの能舞台の鏡板の絵は、今年度は杉本健吉画伯の「若松」である。今年、縁あって、地元で講演する機会があり、そのこともアッピールしたが、まさか、この秋に、「若松」をバックにした本物の能を見られるとは思わなかった。というより、チャンスは絶対に逃してはいけない。
 
10月16日(金)「夢よもう一度・・・の風さん」
 ミュンヘンの国際会議の最終日に質問してきた研究者から、なかなかメールが届かないので、出社してすぐこちらからメールを送った。フィンランドにいるので、時差を考えると、まだ今日の夜明けは訪れていないはずだ。
 今日は明日のゼミが気になっていたので、何とか時間を見つけて検討作業をしようと思ったが、できなかった。昼前後に会議があったのだ。
 結局、夕方になってやっと席に落ち着くことができたが、もう遅い。
 暗くなって帰宅した。
 新人物往来社から文庫の原稿に関する問い合わせのメールが来ていたが、まだ迷っていて自分としての結論が出ていない。そうこうしているうちに、やることがたくさんたまってきている。
 気まぐれ日記というかドイツ紀行を期待している人がいることが分かったので、書斎で気まぐれ日記に取り組んだ。盛りだくさんなこともあるが、週末にかけてどんどん疲労が出てきて、帰宅してからは、もはや気まぐれ日記を書く以外何もできなくなっている。しかし、今夜は、明日のゼミの準備をしなければならなかった。だから、気まぐれ日記の更新は、今夜はおやすみ。
 午前零時を過ぎて、そろそろ寝ようかとフラフラしながら階下へ降りたら、ワイフが「一杯飲もうか」と久しぶりに言う。夕食で残った刺身を片付ける作戦だとは思ったが、死ぬ気で了解した(笑)。
 案の定、秋田の純米大吟醸が出てきた。最高のお酒である。
 私は、書斎から電子辞書を持ってきて、ネイティブによるドイツ語会話の声を聞かせながら、1週間前の旅行の話をした。
 また行きたいと繰り返す私に、ワイフが簡単に同意しないのは、実現しない夢を持ちたくない心理からだ。私の場合、夢とは実現するものだし、自分で実現させるものである。

10月17日(土)「長男の作品展・・・の風さん」
 10時過ぎまで起きられなかったが、起きたのちも体に疲労がはりついていて、どうしようもないくらいだるかった。
 いつも朝食のトースト1枚を昼食にして、名古屋へ出かけた。
 少しだけ雨がぱらつく中をもよりの駅まで歩いた。
 ゼミを始める前に、先生と写真データの交換をした。先生の写真の中に楽しみな写真が1枚入っている。宝物にしてもいい写真だ。帰宅してから見るのが楽しみである。
 ゼミでは、ここ1ヶ月以上懸案だったDP(ダイナミックプログラミング)に、大野先生が一気に結論をつけられた。
 私がああでもないこうでもない、と考えた「屁理屈」を、ホワイトボードに数式で表現してくれたのである。なかなか私には理解が難しい内容だったが、最後には何とかこれでシミュレーションがやれそうな気がした。とにかく、これをベースに大学の発行する『経営情報科学』に論文を寄稿し、その延長線上に学位論文の中間発表をしなければならない。
 疲労の極致だったが、帰りに地下鉄で栄に寄った。ワイフから、長男の大学のデザイン科の作品展が開催されているから見学してくるように言われていたからだ。場所がよく分からなかったが、何とかなるだろうと思って行った。
 地下鉄の栄駅周辺の地図に目的地が見つからなかったので、ワイフと長男に電話したが、出たのは長男だった。
 目的地は矢場町駅の近くだった。しかし、詳細説明を長男はできない。口が重いし、めんどうくさがりだから。「行けば分かる」などと言う。親に向かってなんだその口のきき方は、と言っても無駄なことは百も承知しているので、やめた。
 近くまで行き、通行人の二人目に聞いて、やっと目的の建物が見つかった。
 大きな雑居ビルなので、中に入って2ヶ所のインフォメーションで尋ねたが、どちらも知らない、と言う。
 再び長男に電話すると、7階まで行けば分かると言う。
 しかし、乗ったエレベータから7階まで行けなかった。6回までしか行けず、7階は閉店で閉鎖されていたのだ。どうやら、このビルではないらしい。
 3度目の電話を長男にしたが、確かに7階で、エレベータで行けると言う。詳細説明ができないので、諦めて電話を切った。
 1階へ降りて、雑居ビル全体を把握してみると、13階までフロアのあるビルの7階がデザイン空間になっているようだった。きっとここに違いない、と思って、そこへ通じるエレベータを探してやっと乗れた。
 薄暗い7階のそこだけが少し明るかった。小学校のいらなくなった机と椅子をデザインして(切ったりつないだりして)、再生したアートが展示してあった。女子学生はていねいに解説してくれた。指導教官も。こじんまりした作品展だったが、どれもこれも力作だった。学生の勉強としてはこれでもかなりの仕事量だったろう。いくつかは、再び小学校で2度目の人生を歩むことになるという。
 アンケート用紙に感想を記入して、その場を立ち去った。
 帰りの電車の中で、まだ読めてなかった「大衆文芸」の先月号を少し読んだ。
 久しぶりの我が家のカレーを食べた後、書斎で気まぐれ日記に取り組んだ。

10月18日(日)「まだ疲労がとれない風さんの巻」
 昨夜もたっぷり8時間寝てから起きたが、まだスッキリしない。よほど疲れているのだろう。
 ワイフは早朝から地域のトール教室の先生として出かけている。本当にタフだなあ。私が死んだ後、50年は生き続けるに違いない。
 とにかく、やれることから手をつけようと、先ずはCDをかけた。バロック風ビートルズである。それから、ローテンブルクの1ユーロショップで買ったアロマテラピー「メルヘン」を電灯で温めるポットに仕掛けた。これは甘い香りがする。
 気になっていた郵便物を二つ完成させた。ここまでで、もう正午を回ってしまった。
 昼食後、気まぐれドイツ日記の続きに取り組んだ。これも気になって仕方ないものである。
 夕食後は、社会人入学で研究していることをやって、それから明日の朝の会議で、ドイツ旅行を紹介するための写真データの整理をした。データの持ち込み持ち出しはなかなか厳しいので、アプリルを持参するのはやめて、シリコンディスクにする。シリコンディスクには直接インターネットに接続する機能がない分、管理はゆるいのだ。とは言え、申請書は書かねばならない。
 何とか午前零時までに就寝しようと決めていたので、11時半にベッドにもぐりこみ、『怒濤逆巻くも』下巻を読んだ。ようやく短縮版のアイデアがひらめきかけてきた。

10月19日(月)「平和な1日かと思ったら・・・の風さん」
 7時間の睡眠時間をとって起床。今日こそ頑張れるかも(笑)。
 通勤途中、コンビニに寄って郵便物を二つ投函した。
 シリコンディスクを手続きをして会社へ持ち込み。席でPCにつないだら認識しない。他のドライブと競合しているせいだと言って、同僚が解決法を教えてくれた。うまく行った! これは応用できそう。
 ラジオ体操と神棚参拝の後の会議で、ドイツの写真を公開したが、フォルダー内で順番が乱れていて、ちょっと冴えなかった。
 一緒に仕事をしている相棒と、大野先生から指導を受けたDPについて、検討会をした。アルゴリズムを理解して、プログラムを相棒が作ってくれることになっている。
 先週フィンランドの研究者から送られてきた論文について、社内の仲間とメールで意見交換。お互い忙しいので、すぐに読んで議論はできそうもないが、とにかく何とかフィンランドと生産システムの議論をしてみたい。
 帰宅して、夕食のとき、浪人生の次女が、模試で優秀な成績を上げて表彰されたとうれしそうに話してくれた。何しろ芸術系の大学を目指していて、その実技試験で好成績を上げたのだから、これはすごいことだ。
 「もう大学進学はやめてプロになったら? 海外へ行くのもいいよ」
 「費用出してくれるの?」
 「自分で何とかしなさい」
 「*@&$#???」
 書斎であれこれやっていたら、やはりもう文庫出版まで時間がないことがハッキリした。
 がむしゃらにやるしかない。
 結局就寝が午前2時近くなった。
 命がけの仕事が始まった。

10月20日(火)「ほおずきがもらえるという信じられない話・・・の風さん」
 朝起きるのがつらかった。体調はまだ本調子ではない。疲労が抜け切っていないのだ。そこへもってきて、またまた超多忙(力不足なのですぐにこうなる)の泥沼へ。
 会社の昼休みものんびりしていられない。研究を進めるために、しこしことデータ整理をした。
 しかし、とうとう午後になってダウン寸前に……。
 その頃、秋田県庁から電話が入った(この唐突さは、普通の人には理解不能だろう)。
 先日、某所へ出かけたとき、上小阿仁村の村長と会うのを楽しみにしていたが、残念ながら再会を果たせなかった。ドイツで研究をされていた村長なので、ドイツの話をしたかったのだ。たまたまドイツで出た「ほおずき」が、今では上小阿仁村の名産になっていたことから、秋田県庁職員の周旋努力もあって、私のところへ送っていただけるという。ありがたい話だ。ドイツで食べそこねた「ほおずき」を、まさか日本で食べられるとは!
 体力はどんどん限界になっていったが、気力でもちこたえた。
 帰宅し、今夜は文庫向け原稿の仕事に専念した。
 就寝は午前1時。体力の限界はとっくにこえていた。

10月21日(水)「フルーツほおずきが届いた・・・の風さん」
 帰宅したら、ほおずきが届いていた。昨日の電話は午後だったから、今日届くのは難しいだろうと思っていたが、ありがたいことにもう届いた。
 開封してみると、ドイツで見たほおずきとそっくりである。薄茶色の皮の中に、黄色い実が入っている。
 この上小阿仁村で栽培している「フルーツほおずき」は、南米ペルーが原産とのこと。
 「ビタミンが豊富で、美容と健康にいいって書いてあるけど、ほとんど薬と一緒ね」
 ワイフがむずむずしている。
 「早く食べないと、すぐに痛むかもしれないわ」
 ドイツでも味わったワイフは、早速味比べ。そのまま口にほうりこんだ。
 「ドイツのほおずきより甘いわ」
 私もつられて初挑戦。確かに甘い。そして、日本のモノでない独特の風味があった。
 書斎に入って、メールチェックして、驚いたことがあった。12月に出版予定の文庫の表紙のデザインを、次女にやらせたいと申し入れてあったのだが、新人物往来社から「了解」の回答があったのだ。
 すぐに階下へ降りて、次女とワイフに報告した。さらに、表紙のデザインとはどういうことか、サンプルをどっさり階下へ運び込んで、次女に説明した。
 次女はやる気で、油絵で描くという。
 これで、私の原稿が間に合わなかったら、とんだ喜劇か悲劇になる。

10月22日(木)「バリウムを飲んでも執筆は続く・・・の風さん」
 定期健康診断のオプションで、バリウムを飲んでの胃の透視を受けた。結果はまだ分からない。
 何しろ装置の台の上で体を回転したりねじったり、ときには頭が下になる格好で静止状態を保つなど、いろいろな姿勢をとらされる。問題は技師の指示通りに動くことで、頭がボケている私など、大いに危ないところである。右と左をとりちがえたりする恐れが多分にある。
 ところが、今月初めに左ハンドル右側通行という、脳活性トレーニングをしてきたお陰か、あるいは技師の適切な指示のせいか、難なくこの課題をクリアできた。
 職場でとうとう新型インフル感染者が出た。家庭で子供から感染したらしい。今、私が感染して倒れると、一人でやっている様々な取り組みが頓挫してしまう恐れがある。どうか免疫がありますように……。
 今夜も原稿のスリム化に挑んだ。最も分量の多い章で、しこしこと削る作業を3日間ほど続けたが、こんなやり方では駄目なことが明らかになった。やはり、最初に考えた「大胆な削除」を先にやって、むしろ追加していく方法の方がよさそうだ。明日、頭をリセットした後で挑戦する。
 バリウムを飲んだ後は、下剤ももらって飲んだ。その後、250mlの牛乳パックを適度に間をおいて3個飲み、さらにコーヒーやらお茶やら色々飲んだ。この検査の後は、苦労する(笑)。

10月23日(金)「大胆な削除を実行・・・の風さん」
 来週末に二つの締め切りがある。連載原稿と投稿論文である。にもかかわらず、私は現在文庫原稿に専念している。
 投稿論文については、会社の同僚を助っ人にして、何とか切り抜けようとしている。その同僚は、いよいよ本格化してきたため(実は難しいシミュレーションをお願いした)、昨日は有休、今日も午後から有休にしてピッチを上げてくれている。週末もほとんどそれでつぶれてしまうのではないだろうか。申し訳ないが、お願いするしかない。
 夕方早めに退社した。ミッシェルに給油してから帰宅したが、例によってワイフは不在。町の文化祭の出品準備である。
 昨日も書いたように、原稿の「大胆な削除」のため、仮眠して頭脳をリセットすることにした。
 夕食後、「大胆な削除」を実行。各章から強制的に1節ずつ除外してみた。
 すると、不思議なことに目標ページ数になった。
 これで、ストーリー展開ができるか!?

10月24日(土)「だんだん不可能領域へ・・・の風さん」
 たっぷり寝て起床。しかし、イマイチ元気が出ない。まさか新型インフル……んなわけない。
 昼ごろに第1章を何とか整理することができた。
 残りの時間を配分して、1章あたりどれだけ時間をかけられるか計算してみた。
 平均すると3時間半くらいしかなかった。これが守れない場合、日曜の夜は徹夜になる。
 夕方までに第2章の整理が途中までできた。
 ここで、小雨の降る中、ワイフと一緒に町の体育館へ行って、文化祭の展示を鑑賞した。
 毎年感動する文化祭だが、今年は何となく出品数が少ない気がした。あとで聞くと、常連の婦人会のいくつかが解散してしまったそうだ。
 お世話になっている人とバッタリ会ったりしたが、当方は今にもぶっ倒れそうな状態で、まともな挨拶はおろか世間話もできない。
 それでも、場内を1周まわることはした。
 やはり疲れているのだろう、こちらの感性のアンテナが鈍っていて、感動する作品が少ない。
 夕食までに第2章が終わり、その後、第3章に入ったが、予定の時刻になっても終らなかった。
 結局、午前2時過ぎくらいまで残業(笑)になった……が、それでもできなかった。

10月25日(日)「長女の帰省・・・の風さん」
 起床時間も遅れ、その後もピッチが上らず、第3章が終ったのは、予定よりも15時間くらい遅れたころだった。
 1節を抜いて、その章が矛盾なく流れるようにするのは、至難の業だということが分かった。
 一番の理由は、視点が主人公に統一してあるため、基本的に無駄な部分がないのである。
 ここから方針を変えて、とにかく重要な場面描写のあるところだけ残すようにし、無理に枚数を減らさないようにしたらどうなるか見ることにした。
 方針変更からピッチが上り出した。
 第4章まで進んだ。
 文庫の表紙の絵を担当することになった次女が、8号のキャンバスに油絵を描き始めた。
 全体のストーリーは昨日話して聞かせたし、今日は、タイトルの変更候補について説明した。
 第5章まで何とか整理できた。
 午後11時過ぎに、久しぶりに長女が帰省してきた。
 ドイツに出かけている間に、シルバーのこともあり、長女は帰ってきているのだが……。
 しばらく階下で雑談した。シルバーの話になって、長女の目から涙が溢れ出した。長女からすれば、人生の4分の3を共に暮らしたペットで、家族も同然なのである。
 フルーツほおずきに挑戦させたら、「美味い、美味い」と続けて口に放り込んでいた。
 徹夜を覚悟して、第6章に手をつけた。

10月26日(月)「足りないろうそく・・・の風さん」
 結局、本文が終わった後も、タイトルの変更(案)を考えたり、登場人物一覧の文章を改訂したりして、出版社へ送信完了し就寝したのが今朝の5時だった(笑)。←おっと、笑っている場合ではないが、ピンチのときほど笑ってしまうのが私の本能的な行動なので(自分で自分を癒しているのだろう)、仕方ない。
 普通に目は覚めたが、出社できる状態ではなかった。
 結局、午前有休を申請し、昼一番の本社出張から社会復帰することにした。
 出社前に恐怖の出来事があった。
 普通の人のごとく、トイレに行ったのだが、……出ない! おかしい。いつからこうなったのだろうか? 便秘か?
 この異常事態がバリウムのせいだと気付くまで、それほどの時間を要しなかった。
 残っていたのだ。否、まだ出ていなかったのかもしれない。ぎょぎょ。
 ま、とにかく、本社の会議に出席後、製作所に移動し、頭痛(腹痛ではない)を鎮痛剤でおさえながら、同僚と技術討論をしているうちに夕方になってしまった。
 職場の懇談会で、ドイツ旅行の写真を紹介し、さっさと退社した。
 今夜帰る長女がまだ家にいた! 久しぶりに家族5人がそろった。夕食後、長女が持参したチーズケーキ(1ホール)にろうそくを立て、私のバースデーを祝ってくれた(ろうそくの本数が50本足りなかったけれど)。10月は、私と長女、次女の誕生月である。
 週末の連載原稿のために勉強するのが、今日の最大の課題だったが、能率が上がらないまま、午前1時に就寝した。

10月27日(火)「木村摂津守の子孫・・・の風さん」
 中日新聞の地元の話題の中に、歌手のKOKIAさんの記事が出ていた。たしか土曜日の全く同じ位置に、ヴァイオリニストの吉田恭子さんの記事が出ていた。
 記事の文章では全く触れていないが、二人は姉妹である。吉田恭子さんが姉。KOKIAさんは妹。どちらも国際的に活躍しているアーチストである。1週間もしない間に、姉妹が同じ紙面で取り上げられたのは不思議な気がする。
 なぜ二人のことを知ったかというと、二人とも、太平洋横断時の咸臨丸の提督だった、私が尊敬する木村摂津守(せっつのかみ)喜毅(よしたけ)の子孫だからだ。つまり、二人のお母様やお祖母様と知り合いである。
 一昨年、私が入院していた某病院に、吉田恭子さんがヴァイオリン・コンサートをしに来ることを知ったときは、残念ながら聴きに行けなかったので、真っ赤なバラの花束を送った。土曜日の記事では、明日、名古屋でリサイタルがあるが、超多忙の私は行けない。今回は貧乏で花束も送れない(^_^;)。
 今日の記事によると、KOKIAさんは、12月ごろ名古屋へ来られるらしい。その頃、私の貧乏はどうなっているだろうか(笑)。
 就寝時刻が遅くなって、焦って階下へ降りようとしたら階段の横の白壁にゴ、ゴキが……! 急いで書斎へ戻って、ゴキジェットを持ってきて、狙いを定め、シュパッ……とやろうしたら、まるで百円ショップのフマキラーよりも勢いがなかった(笑)。あらら。
 それでも、靴箱の上に落下したやつにとどめを刺して、何とか退治した。
 ついさっき次女の部屋で出現したけしからぬ奴だったらしい。

10月28日(水)「アカデミック版を購入・・・の風さん」
 社会人入学最後の年も完全に後半戦に突入した。半年を切ったのである。
 学生気分を味わうという以上に、二度と帰れないと思われた過去と似た経験ができるのも、あとわずかなのである。
 そういう高尚な考えもあるが、低俗な考えも一方である。
 最後の通学定期(6ヶ月)の更新をした。
 そして、来年3月までに学生証を提示して、コンピュータソフトのアカデミック版を購入することも楽しみにしていたのだが、早々と実行してしまった。なんと、限定版が特価で店頭に並んでいたからである。
 マイクロソフトオフィス2007プロフェッショナル(パワーポイントも含む)である。19800円! この価格はちょっと驚きだったので、即決した。ところが、「品切れ」と表示してあった。
 いちおう店員に確かめてみたら、倉庫へ駆けて行った。
 待つこと数分。
 「最後の1個です」
 (やったー!)
 まだまだ楽しめるぞ。

10月29日(木)「今度こそ・・・の風さん」
 職場の期間社員が正社員登用試験を受ける。O君は、今度がラストチャンスの3度目だ。3度目だから「3度目の正直」になるとは限らない。世の中、そんなに甘くない。
 これまでさまざまな準備と傾向と対策を練ってきたが、それもいよいよ最後の仕上げ段階である。
 定時後にO君を呼んで、模擬面接をやった。模擬面接ぐらいなら過去にも何度もやっている。
 今日は、予告なしで、模擬面接の状況をすべてビデオカメラに収めた。
 そして、終ってから、彼に自らの表情を見せたのである。
 次々に繰り出す私の模擬質問に答える彼の表情は、終始つまらなそうな、迫力や人間的な魅力に欠けるものだった。
 それを彼自身が発見して気付いたのである。
 「模範回答を考えたら、鏡を見ながらしゃべる練習をするように」
 来週の訓練予告をして、今夜は彼を帰した。

10月30日(金)「一見のんきに見える・・・の風さん」
 ハイウェイバスでM電機N製作所に出張した。いつも楽しみにしている企業視察である。
 見学はとても勉強になったし、その会社に対して好感をもてた。モノづくりが海外へ出て行ってしまわないように、先ず気持ちをしっかりもって取り組んでいたからだ。
 製作所の周囲にりんごの木が70本程度植えてあるそうだ。色々な品種である。「ゴールデンデリシャス」とか「フジ」とか。
 今日は食べ頃の「陽光」を即席のりんご狩りということで、自分でもいで頂戴した。
 真っ赤に熟した「陽光」は、上の方のがより美味しそうに見える。マジックハンドみたいな道具を使い、りんごを摘まんで引っ張ると難なくもぐことができた。大きなりんごで、この会社のトレードマークのシールが貼ってある。シールをはがしても太陽の光が捺したトレードマークが残っている(笑)。
 思い出に残る工場見学になった。
 帰宅して、またピンチの真っ只中に戻った。

10月31日(土)「睡眠不足は万病の元・・・の風さん」
 「昨夜11時に就寝した人と、今朝の4時に就寝した人がいる。二人は夫婦である。さあ、どちらが風さんでしょうか?」
 「今朝の4時に寝た方!」
 「ぶっぶーっ! 正解は、昨夜11時に寝た人」
 普通に起床して、ゼミのために出発するギリギリまで準備した。
 今日のゼミのテーマは、来週末が締め切りの投稿論文と、再来週末にやってくる学位論文中間報告会の内容の相談である。その両方の骨子というかシナリオというか全体構成を、昨夜から必死に考えて、先生に提示したのである。
 いくつかご指導はあったけれど、おおむね了解された。
 あとは、ひたすら準備をするだけ……なら楽なのだが、そうは問屋が卸さない。
 帰宅してから、今日が締め切りの連載原稿の執筆に取り掛かった。
 だいたいネタというか材料は用意できている……と思い込んでいたのが運の尽き。
 午前零時になっても全然終らなかった。
 空腹になったので、階下へ降りたら、「歩く不夜城」ワイフがいた。
 「一杯飲みたい」
 というので、小樽の酒を二人で少し飲んだ。

09年11月はここ

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